はじまりの口上から引き込まれます。
「マネジメントについての自己啓発書を読むたびに、私は「なるほど。しかし、本当に難しいのはそこじゃないんだ」と感じ続けてきた。」
つまり経験者であるからこそ、物事をうまく運ぶための真のポイント、大切な本質がわかっているということなのでしょう。
ですが、この本が凡百の自己啓発書と趣を異にしているのは、ここにキー・サクセス・ファクターが書かれているからではありません。
それは、著者がベンチャービジネスの創業者として味わった、うまくいかなかった数々のエピソードが綴られているところです。
前半部分は、まさに苦難の連続です。
わたしたち読者は、その部分で苦い記憶をどれくらい甦らせるかで、自分の起業家度を測ることが可能です。わたしたちがじっさいに起業したかどうかだけでなく、起業家マインドや当事者意識(オーナーシップ)の問題として。
日本語版序文で小澤隆生氏は、過去に経験した吐き気と悪寒をよみがえらせたそうです。
下手な小説よりよほど面白いエピソードの数々
そうしたフラッシュバックはあったとしても、安心してください。結末は 16億5000万ドルでHPに会社を売却するとわかっているのです。だから、まさにジェットコースターのようなエピソードの連続といえます。前半の描写は下手な小説より起伏に富み、筆が乗っています。
中盤から後半の内容に関しては、上述の出だしから二番目のパラグラフが示唆しています。
「本当に難しいのは、大きく大胆な目標を設定することではない。本当に難しいのは、大きな目標を達成しそこなったときに社員をレイオフ(解雇)することだ。本当に難しいのは、優秀な人々を採用することではない。本当に難しいのは、その優秀な人々が既得権にあぐらをかいて、不当な要求をし始めたときに対処することだ。(中略)本当に難しいのは、大きく夢見ることではない。その夢が悪夢に変わり、冷や汗を流しながら深夜に目覚めることが本当につらいのだ。」
どういう問題が起こり、それはどう解決すべきなのか。企業の経営陣が直面する困難とその処方箋(のようなもの)が列挙されます。でも、これは予習の書ではないわけで。
「経営の自己啓発書は、そもそも対処法が存在しない問題に、対処法を教えようとするところに問題がある。(中略)困難なことの中でももっとも困難なことには、一般に適用できるマニュアルなんてないのだ。」
つまり、一般化できるものは乗り越えるのがわりと簡単なものであって、困難も成功も自分と環境の独自性のなか–一般化できないところ–にあるというわけです。
事業背景や事業内容がまず違います。CEOの精神的負荷への耐性、コミュニケーション力などのスキルセットもそれぞれで違うでしょう。だから同じケースに遭遇しても、取るべきアクションは違ってきます。
過去のケーススタディが役に立った時代は遠い昔のこと。リアルタイムのケース(=答えがない)を考えていくことが大事だとホロウィッツはもちろん認識しています。対処法を書くつもりはないと正直にいいながら、でも教訓を述べている後半が少し物足りない理由は、こちらにあるのでしょうか。
では、エンタメとしてのストーリー以外にこの本を読む価値は何なのでしょう?
それはわたしたちが当事者になったときの精神的助言のようなものかもしれません。ホロウィッツは、自分が経営者のとき、いかにそうした助言に助けられたか、だから今度は自分がそうした立場になりたいのだと述べています。
今、彼はマーク・アンドリーセンとともにベンチャーキャピタル(アンドリーセン・ホロウィッツ)を運営しています。そこでスタートアップのCEOたちにアドバイスするのは、おそらくここに書かれたものとそう違わないはず。旅に出る人間への餞(はなむけ)のような、励ましの言葉です。
ぼくが興味を抱いたのは、ベンチャーを立ちあげてから売るまでの期間、家族とのあいだにどんなやりとりがあったのかというところでした。しかし、ここには彼の妻や義父とのシーンが少しあるだけで、子どもの姿なんかも出てきません。それどころではなかったのでしょうか? 家族の理解がよほどあったから、ほとんど会社ですごすような生活が成り立っていたのでしょうか? 家族との生活に彼なりの努力があったのでしょうか? それとも会社に比べたら家族は重要じゃなかったのでしょうか? それは推測するしかありません。
けれど、そこにこそ、これから起業する者が示唆を与えられるべきもうひとつの課題があるような気がするのです。