サービスの亡霊

外灘から浦東地区を眺める/中国、上海(2005)

外灘から浦東地区を眺める/中国、上海(2005)

言霊メイヨー

まず笑えない中国のサービスの話。

ぼくがはじめて彼の地を訪れたのは97年で、改革開放政策が推し進められてはいたものの、まだ多くの人々が人民服を着ていた。当時、田舎のデパートは日本のデパートとは相当ギャップのある場所だった。

まず商品数が圧倒的に少なく、店内に装飾がない。そして、物を買うときに客は店員よりも手間がかかる。

雲南省の麗江という町でデパートを訪れたときのことだ。
防寒用の下着を買おうとカウンターの女性にあれをくれと棚を指すと、伝票を書いて渡された(投げられた)。離れた場所にあるレジに持っていけという。客はそこで代金を支払って領収書を受け取り、売り場に戻って商品と交換してもらうシステムなのだ。

海藻の打ち上げられた冬の浜辺のように殺風景で閑散とした店内で、客だけがあちこちを歩かされ、服務員は自分の持ち場で無愛想に突っ立っている。

今では信じられないかもしれないけれど、当時、欲しいものがあって店で訊ねるとまず返ってくるのは「没有(ない)」 という言葉だった。カタカナ読みで「メイヨー」。そこにあるじゃないかと棚をさすとはじめて気がついたように取ってくれる(しかも面倒くさそうに放ってよこす)という有様だった。どこへ行ってもだいたいこんな感じで、もう「メイヨー(没有)」の言霊が中国人民を支配しているとしか思えないほどの客の軽んじられ方、愛想の悪さだった。

電車の切符一枚買うのにも数時間。電車が突然停車して1時間たってもアナウンスひとつなかったり。システムの問題以上に、客にたいする考え方が日本とは根本的に違っていた。中国だけでなく、ロシアやベトナムなど社会主義国のとんでもない例も体験した。それらは民営化前の日本の電々公社や国鉄職員の態度以上のひどさだった。

しかし2005年に中国を再訪したときには、見違えるほどましになっていた。みな、とにかく金を儲けようと必死になっていたのだ。それでも日本のサービスとは雲泥の差。中国に限らずいろんな国で、日本ほどサービス水準の高い国は他にはなかった。

日本のサービス

ユーチューブに外国人があげた動画で、よく日本のサービスが賞賛されている。ラッピングのきれいさとか、接客態度の丁寧さとか。「日本で買物をしたら自分が神様になったような気分になるよ」「日本人の顧客サービスは美しい」とかコメントされていて、ほんとにその通りだと思う。海外を旅しているとあまりの接客態度の悪さにムカつくことはしょっちゅうだが、日本ではめったにない。

それでもさらに顧客サービスの向上を競争している。客の側も、それをあたりまえだと思っている。

けれどそれはいいことばかりではないのではと思う。日本は客が神様すぎるんじゃないか? 日本では10円だろうと10万円だろうと客は客だから大事にすべしという言説がまかりとおってきた。それに乗じたクレーマーは論外として、客としてのぼくたちは、当然とされてきた丁寧なサービスがそこまで必要なのかどうか考えてみた方がいい。なぜならその分のコストは「誰かが」払わなくちゃならないのだから。今は自分ではなくても、まわりまわって自分にふりかかってくる。

当然ながら、提供されるサービスは値段に転嫁されなければ企業は成り立たない。あるいは生産性の向上や労働者の賃金の抑制として負担しなければならない。客としての自分の高い要求は、サービス提供者になるときの自分へ負荷をかけることにもつながっていく。

(同じような例が、値下げをのぞむ客としての自分が、その反対の立場にいるときの自分の首を締める場合。たとえば工場で0.1秒単位で組立動作を測定されて管理されるようになったり、東南アジアへ工場が移転して失業という形でコストを支払わされたり、海外転勤を命じられ家族バラバラになったり、と。安くなればいいってものでもない。)

まさに、自らの要求が自分の首をも絞めていく例だ。

別の視点で見てみよう。上のようにかつての中国は完全に提供側の論理で客に接していたが、そのぶん提供側のストレスはあまりなかったと思う。そりゃそうだ。なんでも「メイヨー」で従業員同士の会話の方が客よりも大事だったんだから。

ひるがえって日本の労働者のストレス度合いはどうだろう。日本のサービス業によくあるマニュアルの分厚さは半端じゃない。サービスレベルを管理しようとさまざまな「決まりごと」が従業員に課せられていく。その要求水準は上がっても下がることはない。ぼくたちはパソコンのOSではないのだ。インストールすればいいってもんじゃない。

それはそうだとしても、誰がこのサービス競争から降りられる? この不況下で脱落すれば生きていけない。

そんな声が聞こえてきそうだ。

でも、頭の片隅に入れておいてもいい。日本の精神疾患の患者数は300万人超(厚生労働省資料/平成20年数値)。その心因には労働環境の窮屈さによるストレスも相当あるだろう。病院に通うまでには到らなくても、従業員が鬱々と感じるような顧客サービスの例はたくさんあるにちがいない。

サービス断捨離

ぼくたちは自分の幸福のために働いている。同じく自分の幸福のためにサービスの提供を受ける。ぼくたちは与益者であり、受益者でもある。それらはどちらかの大きな犠牲のうえに立つ関係ではないし、現状以外にいろんなオプションがあるはず。

かつての中国を少しは見習ったらどうだというのは冗談としても、海外で客としての立場を経験して、新鮮な感じというか、「別にこれでええやん」と思うときがたくさんあった。サービスの対価としてぼくのカネを受け取っても、向こうは神経を使っていない。日本ほど儀礼的でもない。人と人が対等に向き合っているという感じで逆に気持よくさえあった。

以前営業マンだったとき、夏場でも顧客に会うときには上着着用だった。相手が工場にいて半袖の作業服を着ていてもだ。馬鹿らしい慣習だった。それがクールビズの世の中になって一変した。クールビズを経験してみれば、なぜ今まであんなことをやっていたんだろうという感じだろう。

これまでの、モノはたくさんあったほうが幸せだという信仰はしだいに薄れ、今では断捨離という言葉が流行するほどになった。

同じように、サービスだってたくさんあればいいってものじゃない。セルフサービスのカフェや簡易ホテルのように、サービスの一部を省略して値段を下げるビジネスは一般的になってきた。しかし、コストのためではなく、従業員の負担を減らすという意味合いのサービスの断捨離がもっと行われていい。

全員でエイヤッと飛べばいいだけのものはたくさんあるはず。あとになって、あれはサービス信仰の亡霊だったんだと思い返すような。それは、提供側の人間がこれはおかしいのではと疑問の声をあげていくことからはじまるのだと思う。

シェレメチェボ国際空港/ロシア、モスクワ(2005)

シェレメチェボ国際空港/ロシア、モスクワ(2005)
段取りが悪く長時間待たされる