「バーチャル家族」感たっぷりの日常—働き方の改革は、考え方の変革から

「バーチャル家族」感たっぷりの日常—働き方の改革は、考え方の変革から

2016年4月6日

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日本の根深い問題のひとつに、長時間労働があります。育児休暇どころか、有給休暇どころか…という状況でしょう。

多くの人が問題ととらえながらもその解決があまり進まない…というか、本気で変えなくちゃと思っている人ってどれだけいるの?

一方で、そうした問題を社是に掲げて(?社名にして)いる会社があります。
そう、ワーク・ライフバランス。
しかし、そもそもそんな名前の会社があること自体がおかしいのではと思うのです。

 

なんとなくかっこいい?社名にひそむ、途方も無いかっこわるさ

 

そんな名前の企業があることが、社会の歪さを象徴していると思うのです。

なぜなら、最低賃金順守株式会社とか、株式会社男女同権とか合同会社児童労働撲滅なんて企業があったら変じゃないですか。法律で定められているかいないかだという反論があるかもしれません。それなら、いってみれば正規雇用株式会社とか、イクメン株式会社があるようなものでしょ。

 

課題解決型の企業がダメだと言いたいわけではありません。むしろ課題解決型ではない企業の方が世の中には少ないでしょう。ただ、ワーク・ライフバランスのような課題については、今、個人の選択によって(企業を)淘汰させていく時代ではないかと思うわけです。

 

ブラック企業を消滅させるいちばんの方法は、従業員がそこから去り、客がそのサービス(商品)を使わないことです。ブラックとまでは言えない企業も同じではないでしょうか。

 

「ワーク・ライフバランスかぁ、いいよね。うちの会社も推進してほしいよねー」とか思っていてはいつまでも変わりません。そういう名称の会社が存在すること自体が、日本社会の異常なんです。個人がそう認識して、自らの仕事を変えていかないと、誰も自分の人生について考えてなどくれません。

あたりまえのことですが、人生のなかで「今」は一度きりです。今しかない子どもとの時間、今しかない家族との時間。家族を支えるためとエクスキューズしながら、「仕事=ほぼ人生」になっていないでしょうか。本心でそう望んでいるならいいのですが。

健康問題とか家族の介護や入院とか、まったなしの状況にならないと、仕事と生活のバランスについて、なかなか真剣に考える機会がないものです。

 

日本人は、時間がカネと同じ重要なリソースだということを忘れて、どんなタスクにも手間暇をかけがちだと感じます。よくいえば手を抜かない。その結果として「仕事=ほぼ人生」 となってしまうなら、もっと自分を大切にしたほうがいいんじゃないの?とぼくは思ってしまいます。

方法論はいろいろあります。

  • 時間内に成果をあげる
  • できない仕事は省くか、簡略化するか、誰かにまかせる
  • まわりの目を気にせず、時間がきたら家に帰る

 

「やるだけやって、できない場合は? まわりの理解を得られない場合は?」

そこを辞めたらいいんじゃないんですか?

「辞めたら、次の仕事はどうなるの?」

ぶっちゃけ、次を探すしかないでしょう。

「次って見つかるの?」

そりゃあわかりません。心配なら、今のところで勤めながら次の職探しですね。

「もし次が見つからなかったら?」

次が見つかるまで行動しつづけるだけですね。しばらく見つからなくても、人生終わりではないですから。「仕事がない=絶望」みたいなのって、「仕事=人生」だからそうなるのではないでしょうか。自分の価値観やスキルを見つめなおすチャンスだと思います。

「次が見つかっても、今よりも給与が下がってしまったら?」

仕方がないでしょう。奴隷のような気持ちで働きつづけることを選択するのかどうかです。

 

今の生活を改善するための「仕事を辞める選択」は非現実的ですって?
ですよね。

でも、家族とほとんど一緒に食卓を囲めない生活のなかで、子育てとかしているつもりになっているバーチャル家族感も、十分に現実的だと思いますけどね。