本「悩みどころと逃げどころ/ちきりん・梅原大吾」

本「悩みどころと逃げどころ/ちきりん・梅原大吾」

2017年9月11日

テーマ設定の秀逸さが、考えをより深めさせてくれる

「学校って不利な人をより不利にする場所なんだなってことなんです」

思わず唸ってしまった。

ウメハラ氏ほどではないが、ぼくも20代半ばまではストイックなところがあって、今となっては恥ずかしいような思い出だけど、中学生のときには机のうえに「努力」と墨書された石を置いていたほどだ。修学旅行かどこかの土産で買ったものだが、以前はよく観光地でこういうわけのわからない土産を置いていた。

やがてどこかに行ってしまった(たぶん邪魔になって捨てた)この置物は、ぼくが努力を信じていた(または自分にそう言い聞かせていた)ことを語っている。努力すればたいていのことは向上すると思っていたし、それは今までの人生でおおむね証明されてきた。ただ、そんな努力もあとから振り返ると中途半端なものにすぎない。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)はまさにそういうストイックさを突き詰めたところにある思考で、ウメハラ氏の徹底した生き方が彼をプロゲーマーとして頂点に君臨させてきたのだとわかる。

でも、今回は、ゲームにたいするアプローチとはまったく別の主題「教育」についての対談だ。
最初はこの対談に意味があるとも自分が適任だとも思っていなかったというウメハラ氏に、あとでこの本のゲラを読んで「負けた」と思わせしめたという。

この対談本が成功しているのは、テーマ設定を学校教育に置いたところだ。ウメハラ氏の思考とそのプロセスを引き出すためにこのテーマを選んだとちきりん氏は言っているが、人の能力を的確に見抜いている。

ほんとうにいい本というのはただ知識を得られるだけでなく、読者の思考をドライブさせてくれるものだと思うのだけれど、この本を読めば、これからの「学校教育」に関して考えさせる材料となるのは間違いない。ふたりのバックグラウンドの対比が、主題をより明確にしている。

学校って、行く意味ある?

冒頭の「学校って・・・」のようなウメハラ氏の言葉には実感がこもっているだけに、考えさせられた。

なるほど、義務教育の小学校・中学校ってそうなのかもね。
そこに意味を見いだせない人間にとって、あれほど苦痛な空間はないだろう。

かといってウメハラ氏が学校に意味を見出さないかというとそうではなくて、

ちきりん『学校って、行く意味ある?』 VS.ウメハラ『大アリですよ!』

という両者の言葉にあるように、ウメハラ氏は学校肯定派だ。というのも、ウメハラ氏がアルバイト先でレジのお金が足りなかったときに真っ先に自分が疑われたというエピソードが語られていて、説得力がある。

その反面、ちきりん氏の言っている、これからの時代に学校なんて別に行かなくてもいいんじゃないかという言葉は、意図はわかるが説得力に欠ける。ちきりん氏が自分でその思考のままに生きてきたのならインパクトがあるんだけれど、実際の彼女はその反対の人生を生きてきたからだ。。

ぼくにとって、学校は行く意味があったか?

さて、ひるがえって自分のことになるけれど、ぼくは大学に行かなかった。

自分にとって、大学が意味のある場とは思えなかったからだ。
その意味を突き詰めて考えたからこそ、そういう結論になった。

それまで中学・高校とかなり勉強して、いわゆる「進学校」で「いい大学」を目指していたのだけれど、そういう生き方に疑問を感じたからだ。
そして、もしここで自分の生き方を変えなければ、その後は「いい会社」を目指して競争して、そこに入ったら「出世」を目指して競争して・・・という生き方の路線からいつまでも降りられなくなるだろうと思った。自分の性格的にも。決断をあとに延ばせば延ばすほど、惜しくて捨てられなくなる。

それで高所から飛び降りるような気持ちで決心した。

で、あとから振り返って思うに、大学に行った行かなかったが問題ではなくて、どういうプロセスでその結論に至ったかが大事だったのだとわかる。その思考プロセスがあったからこそ、覚悟ができた。その覚悟が、そのあとの人生でぼくをどれだけ支えてくれたかわからない。

つまり、学校に行く意味があるかどうかではなく、自分はどう思って、どう考えたかというプロセスを徹底的に踏んでいるか。
覚悟をもってその後のプロセスを進めるか。

これは勝ち続ける意志力 (小学館101新書)のゲーム上達アプローチで、その方法論がキーなのではなく、どういう考えでその方法論に至ったかという方がウメハラ氏を支えてきたというものと通じるところがある。

ふたつの選択肢を同時に生きることはできない

人はふたつの選択肢を同時に生きることはできない。

・あのとき(あの人と)結婚していたら(離婚していたら)どうなっていたか?
・あのときあの会社に入っていたら(辞めていたら)どうだったか?
・あのとき学校を辞めなかったら(辞めていたら)どうだったか?
・あのとき・・・
・あのとき・・・

こんな問いはすべて意味がない。
大事なのは、その結論に至ったプロセスが自分にとって納得感があるかどうかだ。

ぼくがもっとも面白いと思ったところ

さて、この本でもっとも興味がわいて面白いと思ったところは、「ちきりんさんのこれからについて話してください」と問われた部分だ。「文章を書くのに老化はあんまり関係なさそうだけど、でも、人気凋落とかはあり得るんですかね?」

「あり得ると思うし、むしろそうなったらいいと思う」

そうちきりん氏が答えたのだ。その突き放し感。でもほんとうにそう思っているんだろうなという感覚。

別にちきりん氏が落ちぶれることを願っているわけでは(まったく)ないけれど、そうなったときにどんな文章を書くのか、読んでみたいと思う。

ふだんのブログもいいですけどね、それらはあくまでも思考が主。
思考に比して、今を生きるリアルな人生、リアルな実感。それほど惹きつけられるものはないからね。

あ、いろんな読み方ができるのもいい本の条件のひとつだと思う。

ゼロ地点
これはぼくのその後のリアルストーリーです。