もし10代の自分を今の自分が教育できるとしたら?本「採用基準/伊賀泰代」

もし10代の自分を今の自分が教育できるとしたら?本「採用基準/伊賀泰代」

2015年10月7日

以前書いた読書メモを目にして思い出したのでご紹介します。

これは、「これからどこかに就職したい」という学生より、「雇われるとかまっぴらごめんだよ」という人にオススメしたい本です。「採用? けっ自分にはもう用のない言葉だし」という方にも(そういう人にこそ)読んでもらいたい本です。

というのも、この本は書名からぱっと連想されるような枠にとらわれていないからです。どういうスキルがあれば就活で成功するかとか、高評価されるテクニックとか、そんなしょーもない切り口のノウハウ本ではありません。

著者の伊賀泰代さんはマッキンゼーというコンサル会社の採用担当だったそうで、経験談がたくさん語られています。でも、著者の視点がそんなチンケな場所にとどまっていないところが、この本のすばらしいところ。(まあ、だからマッキンゼーを辞めたんでしょう)

「地頭より論理的思考力より大切なもの」という副題ですが、たぶん著者が「地頭とか論理的思考力とかでいい気になってるヤツってつまらんし逆にバカ。大学名とか偏差値を鼻にかけて面接受けにくる奴らってちょークソ」って書いてたのを編集者に「まあまあ、そこはなんとか穏便な言葉で」って説得されつつ、でも編集者もいやほんとはそこが面白いと気づいて副題にした…(想像)。そういうエッジ感が行間からぷんぷん漂ってきます。

それを暗示する印象的なエピソード(だったかな?)があります。自社が求めるスキルをもった学生がこれまでの採用方法では取れないと気づいたというくだり。つまり、自社が評価する優秀な人材が網にかからないと。これはすごいことだと思います。大学の偏差値とかMBAとかを超えた評価基準があったからこそ、こういうことを自覚できるんだなぁと。

でもまあそれはマッキンゼーのことなのでいいとして。

ぼくがこの本から読み取れたのは、日本全体がこれから教育すべきスキルや人物像への提言です。日本の未来・現在にあるべき人物の基準。そういう観点が、企業とかいう枠をはるか飛び越えているんです。

これから日本に採用されるべき人

おっさんの妄想ですが、「これから日本は国としてどういう国民を採用すべきか」とずらして読んだら面白いです。そう表現すると他は切り捨てるのかという批判があるでしょうが、国民は移民という言葉に置き換えられるし、教育という言葉にも置換できます。

ちょうど今、ラグビーの日本代表選手で何人が日本国籍かとか、あるいはEUでのシリアの難民についてやってますね。ラグビーの試合で活躍する、日本国籍ではない選手を見て感動するのに、総論でいうと移民反対となるのは、やっぱりそこらへんをよく考えてない(機会がなかった?)からでしょう。

この本にはマッキンゼーでの話が頻繁に出てきます。それと著者の提言をセットに受け取って、「なんだ日本企業への上から目線の説教なのかよ」「マッキンゼーだけが外資を代表してるわけじゃないし」と読んではミスリーディングです。さらに、著者の意見に賛成か反対かもどうでもいいと思います。著者の伊賀さんも自分の意見に賛同してほしくてこの本を書いたわけではないでしょう。読み方としては、この本を叩き台にして、自分ならどういう人間をどうやって採用するかと考えてみると面白いのではないでしょうか。

で、掲題の「もし10代20代の自分を今の自分が教育できるとしたら?」。ちょっと長くなってしまったのでまた別のエントリで (´ε` )ゴメーン

さて、今おっさんが実感しているのは、あるべき論の大切さです。目の前にある利益をつかむことも大切だし、ゴール設定って近い場所に置くのが継続しやすいと思います。でも、近道探しばかりしていると、振り返ってみたら逆に遠回りだったということがままありますよね。

あるべき論とかそもそも論って、やりすぎると非現実的になってしまいます。
ただ、自分や子どもたちにどう教育投資していくべきなのか、そもそもこれからの日本に必要なのはどういうスキルなのか。そんな視点で考えてみるのは大事だし、秋の夜長には楽しいんじゃないでしょうか。

「もし10代20代の自分を今の自分が教育できるとしたら?」の続編を書きました