ネットを捨てよ、外へ出よう

ネットを捨てよ、外へ出よう

2012年2月1日

シギショアラ,ルーマニア

シギショアラ,ルーマニア

ルーマニアで出会った青年たち

ルーマニアを旅していたとき、電車で大学生の青年と知り合い、家に泊めてもらった。その晩、彼の友人たちと食事をして驚いたのは、彼らが日本アニメを熱心にフォローしていることだった。

彼らはテレビでそれらを見ていた。ネットの速度がまだ遅く、YouTubeもなかった2004年のことだ。ヨーロッパ製アニメと比べると日本アニメの斬新さは歴然としていたけれど、そんなに受け入れられているとはたぶんまだ日本人の多くが知らなかった。

そのうちのひとりは、当時ヨーロッパでメジャーだったNokiaの携帯を取り出し、小さな画面の「NARUTO-ナルト-」の待ち受け画像をうれしそうに示した。(その携帯にはデジカメはついていなかったし、Eメールはできずショートメールだけだった。どうやって取り込んだのか訊ねると、裏技があるんだと得意そうに笑った。)

ぼくたちを泊めてくれた青年の父親は市会議員で、たぶんそれなりに裕福な家だった。けれど電気製品は高いらしく中古部品で組み立てたPCを使っていた。青年はブラウン管モニタに、10万画素とかのデジカメで撮った写真をIEで読み込み、パラパラ漫画風の原始的な映像を見せてくれた。彼の通話機能だけの携帯電話が登場する作品(?)だった。

失礼ながら、日本を出るときに解約した、たしか80万画素だかのカメラのついたソニーの携帯端末を送ってあげようかと考えたほどだ。

イメージと現実の存在感のギャップ

東欧で出会った人々の現代日本に関するイメージは、「ハイテク」「自動車」が圧倒的に多く、まれに「スシ」「アニメ」といったところだったが、ハイテクといっても、彼らはあまり日本製品を見たことがなかった。

たとえば電化製品に限っても、大きな町の電器店でも日本に比べて規模が小さく、驚くほど商品が地味で、退屈だった。
棚に並んだ商品も、フィリップスやデロンギ、エレクトロラックスといったヨーロッパの大手ブランドでほとんど占められていた。

日本製品をここに置けば確実に売れるのに、と思った。デザインはともかく、機能や細かな使い勝手という部分では、日本の製品にかなり分があった。なぜもっと売る努力をしないのだろう? 日本で消耗戦のように些細な機能の違いをアピールするより、ここにその3代前のモデルを持ってくれば、がさっと魚が釣れるのに、と。実際はやっていたのかもしれない。けれど伝わってこなかった。

せっかくの日本に関するいいイメージが生きていない。強く感じたのは、イメージと現実の存在感のギャップだった。

対照的に、韓国ブランドが力を入れているのはすぐに見て取れた。ブカレストやモスクワの空港にはサムスンの液晶テレビが置かれ、町中にはLGなどの巨大広告が並んでいた。そこには、本気が感じられた。

海外を旅すると、日本にはどれだけ安くておいしいもの、便利なものがあふれ、街が刺激的であるか気づく。

優れた商品・オリジナリティある商品がたくさんある。それらが知られることなく日本だけに埋もれている状況は残念だった。

覚悟のなさと時代の逆転

よく言われることだけれど、日本国内だけでビジネスが成り立っていたからだろうか。あるいは、海外進出におけるマーケティングの難しさや採算の問題だったのか。

そうしたエクスキューズは当然あったと思う。

さらに、いいものは言葉少なくとも伝わるはずだという日本人の察し合う国民性もあった、というのは冗談…。

大手家電メーカーに関して言えば、結局は経営陣の世界観と戦略性のなさがあらわれていた。右へ倣えばかりで、どこに立つべきか独自に判断し責任を取る覚悟などなかったのではないか。そんな上司のもとで、彼の地に埋もれてやろうというほどのコミットメントを下の人間が持てるはずもない。

日本はハイテクに優れているなどという思考停止イメージで慰めあっているあいだに、時代は様変わりした。携帯端末しかり、MP3プレーヤーしかり、他のデジタル家電しかり、参入するということは、ターゲット地域を狭く絞るにしても、グローバルに競争することを意味するようになった。

前回のエントリのように、以前は国内外でかっちりと市場分けのあった音楽でさえそうなりつつある。

国内家電メーカーの存在感の相対的低下は如何ともしがたく、韓国メーカーとの時価総額の推移比較は如実にそれを表している。ルーマニアで出会った彼らも、今では、もしかしたらサムスンのスマートフォンくらい使っているかもしれない。

iPodやK-POPがあっという間に日本市場を席巻したように、他の分野でも同じことが起こりうる。

外に出て見える個としての己の姿

組織のなかで頑張ってきたのに、気がつけば組織ごと泥沼に足を突っ込んでいたということが今後ますます増えていくだろう。そんななかで、組織の不幸そのまま個人の不幸とならないよう、自分という個を原点とした感覚を磨いておいた方がいい。その個とは個人主義ということではなく、戻る場所とでも言ったらいいだろうか。個人として自己の立ち位置をよく知ることだ。

情報化によって、世界は狭くなった。ところが、勢いよく流れる情報に翻弄されているうち、かえって自分を見失ってしまう。自分はどんな人間で、いちばん大切にしているものは何か、何に喜びを感じるのか。明白のようでいて、実はイメージと実際の境界線は渾然としている。

そのことに、ぼくは海外を旅してはじめて気がついた。イメージを超えた自己の姿を理解するには、異質な場所に自分を置くことは有効だった。

世界中のニュースがすぐに伝わる社会において、わざわざ出かける意味などないのではと当初は思っていたけれど、実際に歩いて肌で得られたリアリティは大きかった。日本を外側から見て比較することで、自己イメージや既成概念の歪(いびつ)が修正された。

かつて寺山修司は、「書を捨てよ、町へ出よう」と言った。

「何してんだよ。映画館の暗闇でそうやって腰掛けて待ってたって、何もはじまらないよ。(~中略~)ここに集まってる人たちだって、あんたたちと同じように何かに待ちくたびれてるんだな、何か面白いことはないかってさ」

今なら、こう言える。
「ネットを捨てよ、外へ出よう」

丘の上の教会へつづく石造りの階段と木製屋根/ルーマニア、シギショアラ

丘の上の教会へつづく石造りの階段と木製屋根/ルーマニア、シギショアラ