批判的思考と、自己認識のバランス

結論のない話だが、考えさせられるやりとりがあった。

きっかけは、ツイッターで誰かがリツイートしたある日本人のツイートだった。(名をA氏とする。ちなみにそれが誰かは本旨には関係ないし意味もない。)

海外在住のA氏は、東京には創造性のある人材は集まらないと主張していた。なるほど、それはそうかもしれないなと思いながらツイッターのA氏のページに飛んで読み進めると、他都市と比べて東京がいかに駄目かということばかり挙げていたので、さすがに悪いところばかりでもないだろうと思った。

A氏のツイートは人気があるらしくまとめサイトにも編集され、鋭くなるほどと思わせられる指摘をぼくも前に目にしたことがある。ただ、物事の一面のみあげつらうことには悪影響もある。それでぼくが反例を間接的な表現でリプライすると、A氏からの反論があった。それで、先日知った調査のリンクを送った。

「最もクリエイティブな国・都市」は日本・東京 でも日本人は自信がない──Adobe調査

世界5カ国5都市、各国1000人ずつの計5000人を対象にした、創造性に関する調査だ。
アドビがリリースした資料だが、調査自体はStrategyOneという会社が行っており、上記ページには調査詳細のリンクが貼ってある。

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●調査詳細のスナップショット

するとA氏は、その5000人への調査を「感想の域」を出ていないと切り捨てた。それならば自分一人の主張などもっと「感想」だろうに。A氏のフォロワーがアドビ調べだとツイートすると、フォトショップを売りたいわけよねとA氏は言い、調査が恣意的だといわんばかりだ。おやおや、聞く耳を持たないうえに思い込みの上塗りかと呆れた。

アドビが自社商品を売りたいのは当然。でも、調査結果はそのための捏造か? 調査項目をちゃんと見ればわかるが、商品販売への誘導など行われていない。アドビは売上を伸ばそうと脳みそをしぼって知恵を出しているだろうし、この資料を今後の販促材料とするかもしれないが、調査自体はあくまでもアドビとは別の会社が行った創造性に関するものだ。

A氏は日本の悪い側面を列挙し、さも自分の居住国が優れているといわんばかりだ。確かに日本には改善すべき点は多々あるし、取り組んでいかねばならない。でも駄目なところばかりでもない。

他国の都市と比べて東京の公園が少なくとも、遊具の揃った場所もあるし犬の糞だらけでもない。住宅は貧弱でも、国民の公共意識は高い。子供をひとりで地下鉄に安心して乗せられる。街並みは雑然としているかもしれないが、道はきれいだし町は概して清潔だ。あちこち落書きだらけというわけでもなく、駅のトイレだって気分を悪くせず用をたせる。ここに行ったら身の危険があるという場所など、諸外国と比べればないに等しい。外国人が道を尋ねれば、ほとんどの日本人は丁寧に教えてあげるはずだ。落とした財布や携帯が戻ってくるなんて他国にはそうないだろう。東京は人口が多いために息苦しさがあるのは確かだが、それだけの人数を惹きつけた上で高い質をキープできているともいえる。

別に日本が優れているというわけではなく、悪いところばかりでもないということ。それはA氏だってよくわかっているはずだ。

それをA氏のように一面だけ断定口調で言い切れば、社会経験が少なくA氏ほど豊富な海外経験もない若いフォロワーはそうかと思い込みもするだろう。それによって強められる自国への諦念と自己卑下、自己否定は、他国や他者像を大きく優れたもののように見せる。戦後日本のように。海外在住のA氏の視点は参考にはなるけれど、否定ばかりでは弊害も大きい。

A氏はツイートの合間にパートナーによる英語レッスンの宣伝を行なっている。営業を行おうとまったく自由だけれども、自己卑下が深層心理を覆う若者に英語を教えたところで、どんな実のある道具となるだろう? 他国の人々と関わりあっていくのに、自己否定で抑圧された人間がいいとは到底思えない。

斜陽にある国の状況をdisることは共感を得やすいだろう。勧善懲悪もののドラマのように人の気持ちをすかっとさせるところもある。けれどその対案としてのメッセージは、英語を身につけて外国でプロフェッショナルとして暮らせということなのだろうか? それとも誰かがこの状況を変えろということ?

たとえば話のなかで日本の建築物の上物に価値がないというコメントがあった。A氏の居住国では違うと。それは確かに事実だ。でも日本の戦後建築の背景を考えればいろいろとつながってくるものがある。

敗戦と焼け野原から再興した日本人の住宅事情は、過去の否定とすべてゼロからというマインドセットともにスタートして徐々に改善されてきた。地方から都市に流入する人々が雨風をしのぐだけの多数の住居。安く速く建設できて、おしゃれでプライバシーの尊重される西洋スタイルを表面的になぞった造り。そうした安普請の住居を作り出す精神構造は、強い自己否定と西洋式スタイルへの憧れが形作ったものでもあった。

その同じ精神構造を、批判者である自分自身が再生産していることは無自覚だ。自己否定にまみれた人間は、自己の日本人的なものを無視して日本的ではないものに安易に飛びつく。案の定、日本の住環境はパリと比べて100年以上遅れているなどとのたまう学生がA氏のツイートに追随している、日本の伝統建築のすばらしさを誰が放棄し、損ねてきたかよく知りもせず。<参考:不揃いでイイノダ本「木に学べ/西岡常一」>

英語の学習にせよ何かに挑戦するにせよ、自己肯定感と多面的なものの見方は大切だ。上記調査では、他国の人々からは日本・東京はもっとも創造的な国・都市だと評価されているのに、自己評価が極端に低い日本人の現状があらわれている。ほとんどの国では自己評価は他者評価を上回る傾向であるのに対して、だ。

20120512112031●日本は世界的にもっとも創造的な国だと見られている

20120512112032●日本はもっとも創造的だと見られている、アメリカと日本を除いて。ほとんどの国で自己評価が高い傾向にあるが、日本だけは自己評価が低い

20120512112027●自分たちが創造的だと考える割合は、アメリカ52%・世界平均36%だが日本は19%で圧倒的に低い

これは画像編集ソフトを日本人に売るための恣意的結果などではないだろうし、この自己評価はだいたいの日本人が納得するところではないだろうか。

それを感想だと無視して日本は駄目だ、日本は終わった、原発ヤバイなどというような否定的側面ばかり呪文のように唱える洗脳的言論には賛同できない。ぼくが中学時代に世界終末時計で核戦争3分前と言われ、誰かのボタンひと押しで世界は終わるなどと騒がれていたときの閉塞的心理を思い出す。大人たちは無責任に危機を煽り立てる一方でバブルをふくらませていたのだ。

批判的思考とは、物事の否定的側面ばかりを見る思考ではなく、多面的なものの見方だ。そこにはバランスが要求されるのであって、物事の見方を狭めるだけの思考ではない。

さて、ではこうやって文章を連ねている自分は正しいのだろうか? そんなはずもない。自分の正しさの論拠など儚い。それこそ、ちょっと健康を害するだけで、あるいは視点をずらすだけで思考などがらりと変わってしまう。

20代のときは正しさを求めて様々な思想書や論説を貪ったけれど、その相対的思考は自己の正しさにはつながらなかったし、結局絶対的な正しさなどないということがあきらかになっただけだ。

だから自説に拘泥してこんな文章を書き連ねるなら虚しい限りだが、誰かの参考になればと残しておく。日にちをあけてエントリするつもりだったが、思うところあって今日にした。


◎関連エントリ
上記文中に参考リンクとしてあげましたが、日本の建築を考えるうえで示唆にとむ本がいろいろあります。

不揃いでイイノダ
不揃いでイイノダ
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本「木に学べ/西岡常一」
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