本「木に学べ/西岡常一」

本「木に学べ/西岡常一」

2012年3月23日

法隆寺金堂と五重塔

法隆寺金堂と五重塔/photo by 663highland

西岡常一という最後の棟梁

「法隆寺の鬼」と呼ばれた宮大工の棟梁がいる。1995年に亡くなった。

今なぜ、亡くなった棟梁の話か。
そこにはわれわれが学べることがたくさんある。
世界観・仕事観が変わるかもしれない。

今日はあえてぼくの感想は控えめにして、氏の言葉を紹介したい。

木を買わずに山を買え

西岡常一氏は、代々続く法隆寺の棟梁の家に生まれた。農学校に入らされ、いい生徒ではなかったらしい。卒業後に一年農業をさせられたとき、収穫が他の農家より少なかった理由を棟梁だった祖父に問われる。学校で習ったとおりの肥料配合だったしわからないと答えたところ、祖父に「おまえは稲を作りながら稲とではなく本と話し合いをしていたのだ」と諭される。

農民のおっさんは本とは一切話はしてないれど、稲と話し合いしてたんや。農民でも大工でも同じことで、大工は木と話し合いができねば大工ではない。

 

土やそこに育まれる命を理解してこそ、原木の見極めができる。「木を買わずに山を買え」は法隆寺棟梁に代々伝わる口伝のひとつ。

木にはくせがありますのや。こんな柱でも、みなくせがあります。この木は右による、これは左によるというふうに。その木のくせを見抜いて、右によるというのは寄らせないように、左に曲がるのはそうならないように、旨く抱き合わせて組みあげていかなあきませんのや。

 

そのためには、伐採されてからではなく、立っているうちに見ないといけない。土地ごとに風の方向や斜面の方角、土質が違う。すると木のねじれの性質や強度も違ってくる。同じ2000年の樹齢でも、葉の色によって中身がつまっているかどうかもわかる。今の科学をもってしても、どこの山のどの斜面のヒノキがどれくらい強いかはわからないし、ヒノキならみな1000年もつわけではない。けれど、飛鳥時代の大工はその個性を見抜いて使っていた。1300年もたせようと考えていたわけではないだろうが、結果的にそれくらいもつものを作っている。

飛鳥時代の工人の素晴らしさ

法隆寺は7世紀前半飛鳥時代の創建。その時代の大工がどれだけ立派だったかを氏はこんこんと説く。

たとえば、建機などの道具がなかったのにいかに仕事が早かったか。
さらに自然を見抜く力と、建築物の構造体の美しさ。

総重量1200トンの五重塔が1300年以上も朽ちずに建っているという事実。その技術がどれだけ優れているか。ところが時代が新しくなるにつれ、構造の美しさが失われてきている。

何百年、何千年の風雪に耐えなならん。それが構造をだんだん忘れて装飾的になってきた。(中略)室町時代以降、構造を忘れた装飾性の強い建築物が多くなってきますな。そやから、何回も解体せなならんのですわ。

日光は350年くらいで解体修理をしなくてはいけない。法隆寺を解体したとき、四隅の隅木は1300年前のまますっと立っていた。ところが鎌倉時代の修理は木のくせを知らずにケヤキでなされたため、反り返ったという。

先人たちのすばらしさは、大陸からの技術を鵜呑みにしないで自分たちの風土や木質というものをよく知っていたし考えていたということだ。

(夢殿の軒先の長さなどを例に)大陸の雨の少ない建築を学んだけれど、日本の風土というものをほんとうに理解して新しい工法に変えたちゅうことです。こういうのを文化いうのとちゃいますか。

しかし藤原時代に建てられた法隆寺の大講堂は軒が浅くなった。雨風や湿気にさらされて弱くなる。少し時代がさがると、風土に合わせるということを忘れてしまっている。

新しくなるに従って、木の生命より寸法というふうになってくる。自然から離れてしまっていったんや。

 

現代文明への批判

飛鳥時代の工人への賞賛の裏にあるのが、現代文明への批判だ。いろんな人が法隆寺を見にくるが、世界で一番古い木造建築だからというだけでは意味がないという。

ただ古いからゆうて見にくる。ただ古いのがええんやったら、その辺の土や石の方がよっぽど古い。何億年も前からあるねんで。

われわれの祖先の飛鳥時代の人たちが建築物にどう取り組んだか、現代人の及ばない知恵と魂と自然を見事に合作させたものだということを知って見に来て欲しい、と。

法隆寺の解体修理のときに飛鳥の釘、慶長の釘、元禄の釘と出てきますが、古い時代のものはたたき直して使えるが、時代が新しくなるとあかん。今の鉄はどうかというと、五寸釘の頭など10年もたつとなくなってしまう。今の鉄なんてそんなもんでっせ。

鉄の質は、明治に溶鉱炉を使うようになってから悪くなった。昔はコークスなんてなかったから熱源に松炭燃やして砂鉄を使っていた。ノコギリでも釘でも、古いものは刀を作るみたいに鉄を鍛えているからまったく質が違う。日本刀をつくるときと同じに何回も折り返して鍛えているので、顕微鏡で見れば何千枚という層があって千年はもつが、今の鉄のように溶鉱炉から出しただけでは弱い。

それで鉄骨で構造を補強しようという学者に意見したところ、学者が怒り出して「あんたは学問を信用せんのか」というので、「信用しません、今の学問は信用しません」と答えたという。

学者の人たちにヒノキの持つ力を計算できるか、それもわからんで鉄の方がヒノキより強い、なんてこと言うなというわけです。ヒノキの耐用年数は二千年、鉄の耐用年数は百年でっせ。

 

学者や役人たちと喧嘩してでも思ったことを言う姿勢は痛快でさえある。説得力があるのは、それだけ建築物と寄り添っているからだろう。

現代人は、今の方が科学が進歩しているからいいものが作れると考えている。しかし、そうではないという。建築基準法もデタラメだと容赦なく批判する。民家の柱になる木一本育てるのに60年かかるのに、今の方法でやったら25年でダメになる。ちゃんと作れば200年はもつのに、ボルトを使えとか…。

建築基準法にはコンクリートの基礎を打回して柱を立てろと書いてある。しかし、こうしたら一番腐るようにできとるのや。コンクリートの上に、木を横に寝かして土台としたら、すぐ腐りまっせ。20年もしたら腐ります。(略)明治時代以降に入ってきた西洋の建築法をただまねてもダメなんや。(略)今のように、なんでも人間の思ったとおりにできるのがあたりまえと思っているのがおかしいのや。木も人間も自然のなかでは同じようなもんや。どっちか一方がえらいゆうことはないんや。互いに歩みよってはじめてものができるんです。それを全部人間のつごうでどうにかしようとしたらあきませんな。

 

仕事への心構えと学び

堂や塔を建てられてうれしいでしょうと言われても、うれしくないという。

(自分が建てた薬師寺の)西塔は今、基壇が高くなって塔も一尺高くなっているけど、五百年もたつと東塔と同じぐらいまで沈むんですわ。そして千年たって東塔と並んで西塔が建っておりましたら、ええですな。

 

今の大工も耐用年数のことなど考えていない、検査さえ通ればいいと思っていると嘆く。使う側も目先のことしか考えてないから悪いという。

圧巻が仏教について語ったくだり。

仏教は慈悲心ということをいいますわね。母親が自分の子供を思う心、これが慈悲心やと言われてますわ。仏教はその慈悲心を自分の子供だけではなしに、生きとし生けるものに及ぼそうという考えですわな。御利益ばかり願う宗教はウソや。利益はひとつの方便ですわ。本当の仏教というものは、自分が如来であり、菩薩であるちゅうということに到達する。それが仏教ですわな。いずれにしても、自分の体の中に仏があるちゅうことを見つけ出す。これが悟りといわれてるんですわな。

 

なまじっか下手な説法よりよほど仏教の本質をついていると感じさせられる。建築物と対話しながらそうした精神を理解したのだということが伝わってくる。

時代とともに技術も心も退化した、飛鳥の時代から一向に世の中は進歩してないという言葉が印象的だ。

ぼくが何を考えたかはまた次の機会に書きたい。

「木に学べ」と「不揃いの木を組む」 小川三夫氏は西岡常一の元弟子

◎関連エントリ
不揃いでイイノダ
本「中村元対談集3 社会と学問を語る」