ゴールデンブラザー (ミャンマー紀行1999) 4

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ヤンゴン、ミャンマー(2005)

前回からのつづき)

ぼくは、はぐれた友人に用事があるからとその場を後にした。昼食に外に出た際、まだそこにいたヘンネリに声はかけたものの、もう彼を誘う気はなかった。ぼくが適当な口実を取りつくろうと彼は言った。

「じゃあ次はいつ? 夕方か夜は?」
「夜は友達と食事するから。最後の夜やし」
「じゃあその後」
どう断っても彼は待ち続けるだろう。期待して待たせておくのも気の毒だし、夕食後までつきあうのも面倒くさくなった。
「わかった。なるべくすぐに帰ってくるわ」

援助するつもりはなかった。けれど、あせらないほうがいいとだけは伝えたかった。あせればあせるほど失敗するだろうから。
戻ってから聞いた話もまた、成功というイメージに追い立てられた彼の考えの枝葉だった。

ミャンマー政府の規制があるからと彼はいう。だからいい品質のものをタイ人は容易く手に入れることができないのだと。じゃあ政府関係者に賄賂を渡せるタイ人は? あるいは政府にコネのある人間なら? 彼が多少の袖の下でごまかせる税関なら、もっと金のある人間なら、そして金の儲け方に通じた人間なら……。

どこでも欲にとりつかれた人間がたくさんいて、貴金属を取り巻く業界には詐欺話は山ほどあるだろう。タイでもそうだった。いくら好意的に考えても、彼が簡単に儲けられるなら他の人間も儲けているだろうという疑問は氷解しない。

「成功する必要があるんだ」と彼は言った。「ぼくは一人だし、友人の家は貧乏でチャンスもないから、彼のためにも自分がしなくちゃいけない」
「でもそれはまず自分のためなんやろ?」
「寺や貧乏な人に寄付もするさ」
「さっき、彼らは努力しないから駄目だって言ってたやろ? たまたま金を手に入れても、彼らは酒や怠けグセで浪費してしまうから駄目だって。そんな彼らに与える気になるかな?」

まだ正直さを残した彼は、視線をふわりと泳がせた。

「たぶん」とぼくは言った「与えへんと思う」
「そりゃあ、一チャットとか五チャットだけどさ」

彼の生活や価値観にかかわるものすべてが成功のための都合のいいシナリオに収斂され、彼の人生は成功という木の幹にぶらさがった何かだった。

「慌てなくてもいいんじゃないかな」とぼくは言った。
「でもぼくには時間がないんだ。もう長い間、友人の家で生活してる。だから、早くやらなくちゃいけない。これはぼくの恥だから」
だから宝石商売?
「成功が必要なんだ。すべてはそこから始まるから」

ぼくが何を言ったところで、彼の思考は幸福イコール成功という図式から離れなかった。それは、ぼくがどうこう口をはさむ問題ではないのかもしれない。ぼくが今のぼくに至ったように、彼もまた必然的な過程を経て今の彼になったのだ。

「考えはわかったけど、慌てるのはよくない」とぼくは言った。「資金だってまだ五十ドルなんやし」
「五十五ドル」と彼はまた訂正した。

彼が知り合ったタイ人は、宝石が専門ではないらしい。ただ、質の良い品であればさばくルートはあるらしかった。いい商品を確保するのが難しいので彼を頼っているのだという。しかしそれもまた疑問だった。品質だけが問題でそれをクリアすれば確実に儲かるなら、何も彼でなくとも別のアプローチがありそうなものだ。なぜ素人の彼を待つ必要があるだろう。

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ヤンゴン、ミャンマー(2005)

「正直に言って、今は働いて資金をためることを考えたほうがいいと思うよ。ガイドでも何でもして」
「それじゃあ何年かかるかわからない」
「頭を使って月に二百ドル稼いでるガイドにも会ったよ」
「だから、頭を使ってるんだ」
「ねえ、そのいい頭があるんだから、よく考えたほうがいい。そんなにあせらないで、無理して折れてしまう前にゆっくりと力を蓄えたほうがいい」
「そりゃそうだけど」

言葉がとぎれると、彼は胸ポケットから小さなアドレス帳を取り出し、パラパラとめくってみせた。
「大切な名前は皆ここにあるんだ……」

のぞくと、そこにぼくの名は見当たらなかった。ぼくは少しほっとしていた。前回ヤンゴンを発つ前にアドレスを交換したかどうか記憶はあいまいだった。

「君の名前は……」と彼はページをめくりながら言った。「たぶんもうひとつのアドレス帳にあるよ」
「そうやね、そこに書いてあるよ」どうでもよくなってぼくは言った。もし書いていなければ書かねばならない。だけどもうそのつもりもなかった。
「ところで」彼はぼくを見つめて言った。「君は誰だったっけ?」

彼はぼくの名前さえ憶えず、ずっとこんな話をしていたのだ。
しかしショックでも何でもなかった。話を聞きながらぼくは考えていた。結局彼はぼくという人間ではなく、金づるとしての可能性――金を出すかもしれない日本人という記号――に笑顔で手を振っていたのだ。

いくら話を聞いても違和感が強まるばかりで、資金を援助する気にはとうていならなかった。

でもたぶん、彼の気持ちはぼくの理解から遥か遠いところにあるわけではなかった。彼は、出たいと思っている。脱け出たい、と。それは痛いほどよくわかるけれど、最初から親切を蓑にして金を得ようとしてはいけないよ。喉もとまで出かかった言葉をぼくは呑みこんだ。

店をでるとき、とうとう彼はぼくの横に来て差し迫った表情で切り出した。
「これはぼくの恥なんだけど……。もしかしたら、二日後にでもタイで会えるかもしれない。だから……」

彼は遠まわしに、金を出してほしいと言った。そうぼくは解釈した。そう聞こえたはずなのに、なぜか何かを頼まれているような気がしなかった。

つづく

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ヤンゴン、ミャンマー(2005)

(注)この紀行は1999年のもので人名は仮名です。文中の登場人物と写真とは関係がありません

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