ゴールデンブラザー (ミャンマー紀行1999)1

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ヤンゴン、ミャンマー(2005)

細かな雨が降りつづいていた。じめじめと蒸し暑く、不快な夜だった。空港から宿に向かうタクシーの運転手は、湿気で曇ってしまうフロントガラスを新聞紙のような紙でしきりに拭いた。しかし手を止めたとたんにまた何も見えなくなってしまう。巻きスカートのようなロンジーから出た男の脚は細く、裸足でアクセルを踏んだまませわしなく目の前を拭くその横で、助手席に座った若い日本人の男は手伝う素振りも見せなかった。故障しているのか節約しているのかエアコンはついておらず、窓が開いていた。静けさのなかに、ワイパーがガラスにぎこちなくこすれる音が響いていた。

信号で停止したとき、突然何者かが大声で叫びながら手に何かをかかげ、車の前に飛び出てきた。濃い顔色の男は、大声を発しながら後続車の方へと歩いていった。信号が変わると、何もなかったように車は発進した。バラ売り煙草の売り子だったのだと後で知った。

翌日、ホテルの前の食堂で若いミャンマー人と知り合った。そのヘンネリという名の男から耳にした話は、怪しさと興味を同時におぼえるものだった。二十三歳で働いてはいないが学生でもなく、タイに行って帰ってきたところだという。今は友達のところに泊まっているらしい。将来の話に及ぶと、ヘンネリは言った。

「いつかはアメリカに行くつもりなんだ。その手始めにビジネスをしたい。宝石をタイで売る。そのためにタイに行ってきたんだ」

旅行中に聞く貴金属の話ほどうさんくさく、ぼくの関心から遠い世界はない。その手の儲け話にはまったく興味はないが、その向こうに彼が思い描く将来像には少し興味をおぼえた。

突っ込んで訊いてみると、やはり容易には信じがたかった。要約すると、ルートさえ確保すれば、ミャンマーで七万チャットのルビーがタイで七万バーツで――つまり桁は同じで通貨単位だけが替わる――売れるという。現レートは一バーツ約九チャットで、おおよそ五十六万チャットの粗利益、経費を差っ引いても約千六百ドルの純利益になる。タイに運びさえすればいいのだとヘンネリは言った。

空港でひっかからないのだろうか。危険じゃないのかとぼくが言うと、だいじょうぶだとヘンネリは答えた。宝石くらいならどこへでも隠せるし、空港の職員なんて多少の鼻薬をかがせればどうにでもなる。タイで宝石を流すルートは、ヤンゴンで宝石を扱っている友人――ゴールデンブラザーの一人――のつてがあり、手はずが整った。今回、宝石は持たずにタイをはじめて訪れ、なんとか今後のルートを得たらしかった。最初のルビーの代金は前借りし、儲けのなかから後払いするのだという。

それにしても、パスポートを簡単に作れたのだろうか。タイまでのエアチケット代も安くないだろうにどう用意したのだろう。そんな疑問はまもなく晴れた。計二百ドルほどを協力してくれた日本人――今ではゴールデンブラザーのひとり――がいたらしかった。

「よく出してくれたね」
「彼はリアルフレンドだよ」

そのリアルフレンドはすでにこの地を離れ、別の国を旅行中らしかった。
ヘンネリの今の課題は、商品を運ぶべく次のタイへの渡航費をどう得るかだった。

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体重計商売/ヤンゴン、ミャンマー(2005)

全般的に、彼の話には首をひねる点がありすぎた。タイと宝石と聞いてすぐ頭に思い浮かぶのは、タイの観光地近辺にうじゃうじゃいる宝石詐欺の男たちの姿だ。今はもう相手にもしないけれど、はじめてタイを訪れたときに興味半分で話だけつきあったことがある。期間限定で宝石を安売り中なのだと輸出センターとかいうところに誘い、今日が最終日で日本で売れば三倍になるなどと有名宝石店の名をまくしたてる。休暇中のパイロットだとか自称し、つれなく断ると、君のために行くべきだと善意をほのめかす顔に焦りの色が浮かんだ。

そんなに簡単に事が運ぶなら、皆同じことをやっているだろう。ましてやミャンマーからタイに運ぶだけでいいなら、陸路でいくらでも両国の国境を人々が行き来している。ミャンマー人はもちろん、国内で需要のあるタイ人や華僑はもっと簡単に金儲けをしているはずだ。

しかし疑問は呈さなかった。彼はぼくに儲け話を持ちかけているわけでも協力を要請しているのでもなかったからだ。
そもそもその食堂に入ったのは、ラジャというホテルの従業員に表で声をかけられたからだった。食事したいのだというと彼はそこに案内してくれ、紅茶を飲んでいた男に声をかけると、ホテルに戻っていった。それで、油っこいカレーを食べながらヘンネリの話を聞いたのだ。ヘンネリとラジャは友人同士らしかった。

「彼はリアルフレンドさ。ぼくたちはゴールデンブラザーなんだ」
ゴールデンブラザーグループは六人構成で、そのうちの一人は二百ドルを協力してくれた日本人らしい。

ふたたび姿を見せたラジャが、書類を届けるので一緒に出ないかという。彼らはなぜかまずJドーナツに入り、コーヒーをおごってくれた。お返しにドーナツをごちそうすると、彼らは出際に「ありがとうございます」と日本語で声を合わせた。用事をすませたラジャと別れ、ぼくが帰りのフライトの予約を入れに行くと言うと、ヘンネリはそのオフィスまで案内してくれた。その後、中央郵便局留めで友人から届いているかもしれないエアメールを受け取るために一緒に出向いた。しかし局留めの受取場所がわからず局内をたらいまわしにされ、一階と二階を何度か往復したあげくに外の建物だと指をさされ、しばらく歩いた印刷工場のようなところで訊くと局内だと言われ、振り出しに戻った。

「もういいよ。また戻ってきたときにもう一度来るから」ぼくは断念して言った。
「奴らは狂ってる。ここの郵便と電話はクソだ」ヘンネリはいまいましそうに言った。「だからアメリカに行きたいんだ」
「どうして?」
「アメリカという国はどうでもいいけど、ビジネスのためにね。経済とテクノロジーを知りたいから」
 車が激しいクラクションを鳴らしながら通りすぎ、路面にできた穴にたまった泥水をはねとばした。
「クソッ」と彼は言った。「クレイジー」

ここでは多くの車がやたらとクラクションを鳴らし、どこであろうと車優先だった。横断歩道を渡っていても、車はスピードを緩めずにクラクションを鳴らしながら突っ込んできた。
「通信システムもこの汚い道も、クソだ」そう言いながら、彼は吸殻を道に放り捨てた。

(つづく)

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ヤンゴン、ミャンマー(2005)

(注)この紀行は1999年のもので、人名は仮名です

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