モンゴル(2005)
「おれ、チンギス・ハーンの生まれ変わりちゃうかと思うんや」とその友人は言った。
ひとりでモンゴルを旅行したときに馬で走っていて、地平線の果てまで、いつまでも走り続けたいという思いがやまなかったのだという。
年上の友人で、相当濃いキャラだ。個性的なだけでなく意思の強さと行動力を兼ね備えた努力家だ。仕事ではストレッチゴールを自分に課す。かといって極端な仕事人間でもなく、精力的にクラシックコンサートに通ったり神社巡りをしたりという趣味もある。
その彼から聞いた、チンギス・ハーンとは別の話だ。
あるとき彼が誰かの講演を聞きに行った。その講演者が誰かは忘れた。問題は内容で、その講演者は感謝の気持ちが大切だと説き、自分は一日に3000回だかの「ありがとう」と言っている(心のなかでを含めて)と語ったのだという。さらには、宇宙はその念をちゃんと汲み取ってくれる。感謝すればするほど、宇宙はきちんと返してくれる。それが宇宙の法則なのだ、と。
宇宙? なんじゃそりゃ。
という疑問はありつつも、もちろん顔には出さない。宗教的ではあるけれど、勧誘とかその類いではなかったらしい。だからそこは置いておこう。実害もないしその友人もいい大人なので、ぼくはオモロイ部分をただ面白がることにし、強くうなずいて続きを促した。
講演者の話に彼は大いに共感した。感謝の気持ちはたしかに大事だ。そういう意味では、自分は今まで感謝が少なかったかもしれない。だから同じようにやってみようと考えた。
しかし、ここからが彼らしいところなのだけれど、講演者の10倍感謝してやろうと決心した。一日3万回だ。
なぜ10倍なのかは聞かなかった。感謝の念を回数で競争するってどないやねん? そんなツッコミはやめておこう。ただオモロがる、できればさらに煽るというのが、友としての正しい態度だ。それに、お百度参りだってあるではないか。それが祈願のお経であろうがマントラであろうが構わない。神社や寺で皆がやっていることも同じようなものだと理解すれば違和感はない。
余談になるけれど、初詣に関しても彼には独特の持論がある。彼は近年いつも大晦日にお参りしているのだが、その訳を説明してくれた。
「元旦やったらわんさか人が訪れて、神さまにとってはぜんぜん珍しくないやろ? 何十万人かのワンオブゼムや。それが大晦日やってみ? 神さまも『おっ、なんか珍しいやつやな』ってまず注目するやろ。さらに、お願いするんやなくてそれまでの一年の感謝をしてみ? 『えっ、コイツお願いやなくて感謝してきよるんや? うわぁ感心なやっちゃ。じゃあちょっと願いも聞いやらなアカンなぁ』ってなるやろ? それがポイントや」
神仏にさえ意表をつく、彼独特な神仏マーケティング理論。
モンゴル(2005)
話を戻そう。目標はなんとしてでも達成する優秀なビジネスマンでもある彼は必死になった。なんせ3万回だ。計算すると、一秒間に2回押すとして、一分で120回、それでも250分かかる。「ながら」でやったとしても4時間以上。うーむ、なんでそんなハイレベルな挑戦をしようと思ったのだろう……。
で、いちいち回数を数えていられないので、数取器(カウンター)を用意した。見せてもらうと、ぼくが最初にイメージした、小気味いい音のする昔の金属製とは違って、プラスチックの静音式だった。家にあったのだという。親指でカチャカチャと押しながら「ありがとうございます」と唱えるわけだ。念仏のように。実際には「あ(りがとうございま)す」くらいに短縮されると思うが。もちろん家にいるときだけじゃ間に合わない。外出時、たとえば歩いているときやマンションのエレベーター、電車に乗っているときもカチャカチャとやる。
そんなある日、ショッキング(?)な出来事が起きた。彼がファミレスでひとり食事をとったときのことだ。食後の珈琲を飲みながらカチャカチャとやっていたら、隣席に二人組の女の子がやってきた。ところが、なぜだか席を移っていってしまった。向こうから怪訝そうな顔でこっちをチラ見している。それではっとした。隣でよくわからん男がひとり宙を見つめながらぶつぶつ独り言を言って数取器を押していたら、気持ち悪いはずだ。必死なあまり、まわりからどう見えるかなど考えもしていなかった。それ以来、手はポケットのなかに入れ、声も出さずに暗唱することにしたのだという。ハーンの生まれ変わりでも、さすがに草原で羊を数えるようなわけにはいかないようだ。
そのときどういうふうにやっていたかを彼は再現してくれた。前のめりで虚空を見つめてカウントする姿に、どうしてもこらえきれなかった。ぼくが大笑いすると彼も笑い出し、ふたりで腹を抱えたのだった。
しばらく日をあけてまた会ったとき、まだ継続していた。いろいろ忙しいだろうに、感服せざるをえない。でもさすがに目標は緩和したようだ。
「今日はもう何回やったんですか?」
「まだぜんぜんや」
そう言いながら、ときおり会話の間があくと手を入れたズボンのポケットがかすかに動いていた。もちろん彼は何もつぶやいてはいなかったけれど。