おばあちゃんの十円玉

ピンウールィン、ミャンマー(2005) srcset=ピンウールィン、ミャンマー(2005)
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価値とは不思議なものだ。

目の前に無料で存在するものは価値がなく、有料で売られているものの方が価値あるような錯覚をおぼえたりして。

たとえば空を仰いで鮮やかな青空があっても、頭のなかは営業成績があがらない憂鬱ばかりで占められていたり、若くて健康であっても、自分の給料が低く誰かが持っているモノが欲しくて羨ましさを抱いていたり。

カネで売り買いできる仕組みはわかりやすく便利だ。けれど交換経済へ依存しすぎてしまうと、自分の幸せとは何かが見えなくなってしまう。あるいは、今持っているものより、持っていないものの方が価値があると思い込む。今の自分には青空や若さや健康は当然の所与として、価値もありがたみも感じない。

往々にして、ぼくたちは自分が今手にしているものと手にしていないもの、手に入れやすいものと手に入れにくいものの認識のバランスがうまくとれていないんだなと思う。比較とはつねに一部であり、意識はどこかにフォーカスされるがゆえに、全体性を見えにくくさせる。そして、つい結論ありきで物事を比較する。

ぼくが四歳のとき、引っ越したばかりの家におばあちゃんが泊まりに来たのがとてもうれしかったのをよく覚えている。そのとき小遣いをもらったぼくは、喜び勇んで近所の駄菓子屋にお菓子を買いに行った。手に握りしめた30円は、今でこそそれで買えるものはほとんどないけれど、当時は当たりクジ付きの10円の駄菓子が3つ買えたのだ。ひも付きのやつとかガムとか、いろんなバリエーションがあって、選びながらどれにしようかとわくわくする。

ぼくは、自分で好きな物を買える喜びをおぼえたばかりだった。当たりガムをもらえたらおばあちゃんにひとつあげよう、そしたら喜んでくれるにちがいない。

そんな夢想を胸に駄菓子店めがけて坂を駆け下りたぼくは、勢いあまってつんのめって転んでしまった。それでまだ舗装されていなかった地面で顎を強打したばかりか、握っていたお金を放り出してしまったのだ。

20円はあったが、あと一枚がどうしても見つからない。激しく転んだのと大切なお金を失ったショックで、泣きじゃくって家に帰った。

傷口に赤チンを塗ってから、おばあちゃんはやさしく笑いながらぼくの手に十円硬貨をもう一枚握らせてくれた。

それから二十数年後、ぼくは自分が何を握りしめていて、何が欲しかったのかわからずに、やむにやまれぬ気持ちで旅に出たのだった。

日本に帰ってきて、半年も旅行したなんてと感心された。今みたいに長期旅行者のブログなどが手軽に読める時代ではなかったから、珍しかったのかもしれない。で、どこに行ったのかと聞かれる。目の前の相手が、名所旧跡や絵はがきのような風景を思い浮かべているのがわかる。

そういうところに行くこともあったけれど、ついでのようなものだった。半年といっても行けたのは4カ国で、特に目的地があったわけでもなく、ただ移動して、着いた町や村に滞在しただけだ。

田舎町に一週間や二週間いたりすることもあった。まわりには何もない。とりたてて観光するところも、ショッピングセンターのようなものもない。

よくそんなところで過ごしたね? 何をしていたのかと訊ねられる。いや、だから別に何をするわけでもないんだと答えると、たいてい理解されない。トレッキングだとか、ビーチで寝転んでいたとかならわかる。でも何もない場所で、何もしなかったって? 

今ならまだ理解されやすいのかもしれない。でも当時は80年代から勢いを増した消費文化がまだバリバリに(という言葉も当時風だけど)残っていた90年代後半。無目的を楽しむような時代ではなかった。

「退屈じゃなかったの?」
「いや、そうでもなかった」

最初は羨望混じりの反応だったのが、何か珍奇なものを見るような顔になる。
せっかくの旅行なのに、貴重な時間なのに。仕事もせず。空っぽの時間、空っぽの思い出。いったい何だそれは?

エローラ、インド(2005)エローラ、インド(2005)

たしかに色鮮やかな記念写真は残らない。そもそもカメラも持っていかなかった。

でも、と思う。あのときの旅は、埋めていくことじゃなく、足していくことでもなかった。旅行前に日本でやっていたように、前のめりに何かを探すことでも、追い求めることでもなく。

どちらかというと、引き算だったのだ。

引いていくと、残るものがある。どうあがいてもそう簡単には無にならない「自分」。生きている限り、様々なものと関わりあう、その関係性こそが自分だった。思考のなかで簡単に無になる意味や自己評価。腹が減ったとか、暑い、寒い、さびしい、うれしい、腹立たしい、哀しいとふつふつと湧き出てくるおのれ。車窓の向こうの暗がりに浮かんでくる友達や家族の顔。そういうものと向き合う時間が残る。

帰国して振り返ってみると、そういう空間こそが豊かで、そういう時間こそが貴重だったんだなと気づく。

なかなか旅に出ることのない今、足していくものや埋めていくものばかりにときどき意識がとらわれて、まだ幼い子供にまでそれを強要しようとしていることに気づいてはっとなる。

いろんなものを欲しがって、放り出し、旅に出て。それからだいぶたった今、自分のこれからの人生にたいしては、十円玉を握りしめて当たりクジを切望するような気持ちはあまりなくなった。

たくさんのものをつかもうとしていたときは、空っぽになることを畏れていた。だけど今は、転んだらちょっとくらい失くしたっていいんだと思える。空っぽの手になおも残るもの、またつかめばいいものがわかっているから。

手に握りしめてきたものがぼくを形作ったことは間違いない。ただ、ぼくの手に十円玉を握らせてくれた祖母の柔らかな表情の方が、ぼくにどれだけ深い影響を与えていたかには、なかなか気づかなかった。あまりにも当たり前すぎて。

レボチャ、スロバキア(2004)遠くに立つ十字架/レボチャ、スロバキア(2004)

<2016年追記>上のおばあちゃんは、今夏に亡くなった。見舞いに行って呼びかけても、眠りつづけて何も反応しないようになっていた。その日は珍しく、おばあちゃんに耳元で呼びかけると、目を開けずに「ありがとう」と三回繰り返した。翌日に容態が急変し、息を引き取った。100歳の大往生だったが、結局与えられつづけるばかりで、何も返せなかった。