社員は気づきはじめています。 経営者が無能の会社に入ると、たとえ大企業であっても不幸になると。
これまでの就活では、企業名や商品の知名度、給与や福利厚生、上場企業かどうかやらで決めていたでしょう。でも、これからは違ってきます。
古き良き(?)壁に囲まれし時代
以前なら、社長の名前なんてどうでもよかったんです。誰が社長であろうとたいした違いはなかったかもしれません。
大企業なら、前例にのっとった経営でやっていけました。社員には終身雇用と年功序列が保証され、社長とはその制度内での昇進競争の「上がり」を意味していました。
でも、東芝やシャープの例をひくまでもなく、無能な経営者の下では、大企業であろうとあっという間に泥船になってしまう時代になりました。すると社員もブクブクブク…。
これまで安定は、障壁に守られて得られていただけのことです。法的な規制や日本語という言語、生活習慣などで、まるでガラパゴス諸島のように守られていました。戦に例えると、障壁のなかで戦う術と人・モノ・カネがそろっていれば国内の生存競争では勝つことができました。
社長の無能っぷり、社員の生産性の低さが露呈
そこでは、経営者はむしろ前例踏襲主義でドラスティックなことを行わない方が、みんなにとってよかったのでしょう。
そこでは社員も安定を享受できました。軋轢をもたらしながら生産性を高くするより、まわりに合わせてダラダラ残業や飲み会につきあう方が無難に出世できました。むしろ、外資で働くとなると結果をシビアに問われるし、リストラされる可能性もありました。そういう文化をもった企業への就職はどちらかというと敬遠されていました。
しかし障壁が崩れはじめると、そうはいかなくなりました。障壁の失われた業界からは、これまでのような安定は失われていきます。すると無能社長のダメっぷりが露呈され、その下で場の空気を重視していた社員たちの生産性の低さが露呈されていきます。銀行などの規制業種は特に、いろんな壁で守られてきました。でも、これからはつぶれたりしていきそうです。
経営者の発言を比較(だって馬券を買うときだって…)
アメリカの大手企業の取締役会では、社長の能力をシビアに判断して経営を委ねます。うかうかしていると株主訴訟を起こされます。
日本においても同様に、たとえ社員であろうと能力のある社長(が選ばれる仕組みかどうか)をシビアに判断して会社を選ぶ時代がきています。
大企業に就職しようとするとき、これまでなら経営者で判断するなんてほとんどなかったことでしょう。でも、これからは重視すべきリスクです。経営者が何を言っているのか、無難なだけで中身のないことや、とぼけたことを言っていないか。
リーダー次第でがらっと将来が違ってくるのですから、誰をどう選ぶかは一大事です。企業だけではなく、自治体だって国だって同じことですが。
数千円の馬券を買うときでさえ、競馬新聞片手にじっくり馬や騎手を比較するわけです。一方、就職って数千円どころではなく、いわば自分の一生を託す(つもりになっている)わけです。経営者を並べて、違いを見比べるのは当然のような気がします。
それこそ、発言や考え方を業界ごとに比較したり、業界展望や商品開発、リーダーシップや過去の経営判断の是非をランクづけするサイトだってあらわれてもよさそうです。サイト名は、経営者比較.comといったところですかね。