ゴールデンブラザー (ミャンマー紀行1999) 5

ゴールデンブラザー (ミャンマー紀行1999) 5

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ヤンゴン、ミャンマー(2005)

前回からのつづき)

ホテルの食堂で朝食を済ませ、散歩でもしようと外に出ると、入り口にラジャが座っていた。
「朝飯は済んだ?」
「まだ」
「食べないの?」
「朝に食べると昼か夜に食べるお金がなくなるから」
「客用の飯をつまみ食いできないの?」
彼は首を振った。
「おごるから一緒においでよ」

彼の隣にいた従業員も誘ってホテル前の食堂に入ったが、その従業員は煙草を一本吸うと、フロントの仕事があるからと先に帰っていった。モヒンガーを食べながら、自然とヘンネリの話になった。ヘンネリはタイに行けると思うとラジャは言う。お金は?と訊くと、なんとかなるという。なぜならヘンネリは一人だから。

ラジャにとっては、ヘンネリが一人で動けるということが何より決定的なポイントだった。彼は続けた。自分には家族がいる。母と弟たち。彼らの生活費のすべては自分にかかっている。もし自分が働くことをやめてしまえば、彼らが食べられなくなる。

しばらくして、彼は切り出した。
「日本に帰ったら、ぼくにお金を送って。二十ドル」
ぼくが黙っていると彼はつづけた。
「普通の封筒に入れずに、音のなるバースデーカードの裏側にうまく入れれば届くから」

通常の封筒に現金を入れて送金すると、開封されて現金だけ抜き取られるらしい。今まで何人かが送金してくれようとしたが、すべて開封され、現金だけなくなってしまっていたのだという。無言で話を聞いていたぼくに彼は畳みかけた。
「十ドル、五ドルでいいから。日本でなら一回の食事代でしょ?」
確かにそうだ。けれど……。

弟が最近何も言わずにいなくなってしまったのだという。今までなら、彼か彼の弟のどちらかが働けばよかった。けれど、これからはそうはいかなくなる。

事情はあるかもしれないが、それを自分から言ってしまってはいけないんじゃないか。明確な根拠なくぼくは思った。そして、これまで出会った貧しい人々のことを思い浮かべていた。

けれどぼくは何も言えなかった。何も言わなかった。そんなことを自分から言ってはいけないということさえも。ぼくはただ彼の話を聞くだけ聞き、黙って茶をすすった。

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ヤンゴン、ミャンマー(2005)

一昨日の出来事が思い出された。その日、北部の町からバスで帰ってきたぼくは、ドミがいっぱいだったのでシングルにチェックインした。夜になってラジャのボスが家に帰ったとかでふたりでビールを飲みに行き、ホテルに戻ってシャワーを浴びると部屋に大きなゴキブリが出た。フロントにいたラジャにエアゾールはないかと訊くと、ないという。

「じゃあ新聞紙貸して」
「ぼくが行くよ」

部屋に来たラジャは、なんとゴキブリを手づかみで捕えたのだ。驚いてどうするのかと訊くと、外に放すという。
「君は仏教徒?」とぼくは感心して言った。
この国は仏教が盛んだがインド系など他の宗教を信じる人も多い。そういえばラジャの民族や宗教をこれまで聞いたことはなかった。
「そう」とラジャは答えた。「だけど殺すのはよくないよ、どの宗教でも」

その夜中、ぐっすりと眠っていたときにノック音で目を覚ました。この部屋に? ドアを開けると、ラジャが立っていた。飲んできたのだという。彼はぼくの脇をすりぬけて狭い部屋に入ってくると、ベッドに腰掛け、ごろんと横たわった。話があるようでもないが、出ていく気配もない。どうしたものかと少々困惑しながら、ぼくはベッドの端に座った。眠たいから帰ってくれと言っても反応が返ってこない。ひどく蒸し暑く、不快な夜だった。天井の蛍光管がじーっという音をたてている。しばらくして振り返ると、彼は薄目でぼくを伺っていた。それで、多少は酔ってはいるが理性を失ったり眠ってしまうほどではないとわかった。彼はぼくがどう反応するかを試しているのだ。しかしそれからも、ぼくが眠たいから帰ってくれと言ってもなかなか帰ろうとしなかった。最後には、彼の腕をつかんで立ち上がらせ、部屋の外に追い出したのだった。

夜が明けて――つまり昨日の朝――彼は言った。自分はホテルにいる旅行者と仲良くなったら、部屋に遊びに行くことがあるんだ、と。昨日は単なる弁解としか聞こえなかったけれど、やっとつながった。いつのことだったか、自分が宿の旅行者と仲良くすることをヘンネリはよく思っていないと言ったことがあった。

「彼は妬んでるんだ」とラジャは言った。「自分はできないからって」

これまでそんなふうに見たことがなかったから何とも思わなかったけれど、ラジャはずいぶん端正な顔立ちをしていた。仲良くなった男から特定のアプローチがあったとしてもおかしくはない。彼自身は最初は意図しなかったことだとしても、もしかしたら小遣いを得る手段のようになっていたのかもしれない。

ホテルに戻り、荷物をまとめてチェックアウトをすませた。近くの店で昼食用の軽食を買っていると、今来たところだというヘンネリがぼくに声をかけた。

空港までのタクシーに乗るとき、余ったチャット紙幣をラジャに手渡した。どこに行ってしまったのか、ヘンネリの姿はなかった。

「残ったから。少ししかないけど」
「いいんだ」とラジャは言って、ポケットにしまった。

結果的に、たぶん何かの期待をもってやってきただろうヘンネリはまったく割が合わなかった。それとも、カフェで他の旅行者と話しこんでいるのかもしれない。

タクシーが発車した。直前に同乗する日本人がひとり増え、人数割する一人あたりの料金が減ったためにチャットの残金ができた。そんなわずかな金をラジャに渡せなかったことがひどく残念だった。ぼくには、たった五ドルでさえ送金する気持ちもなかったというのに。

強い光が車内に射し込んでいた。暑い一日になりそうだった。

<了>

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ヤンゴン、ミャンマー(2005)

(注)この紀行は1999年のもので人名は仮名です。文中の登場人物と写真とは関係がありません

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