取り付け騒ぎとパニック

2012年6月1日

 

1995年の、蒸し暑い夏の晩のことだった。

 

大阪市内を国道25号線沿いに自転車で走っていると、テレビ局の中継車が物々しく道路脇に並んでいた。ビルの前に人だかりがして、ただならぬ気配が漂っている。きづしんの本店だ。中年の男たちが暗がりのなかで群がり、シャッターに貼られた白い紙を覗きこんでいる。

 

自転車をおりてぼくが近づくと、近くのおっさんに声をかけられた。
「兄ちゃんもやられたんか?」
「いや」ぼくが首を横に振ると、おっさんはつづけた。
「ホンマ、えらいこっちゃで」

 

これが、木津信用組合の経営破綻に関するぼくの最初の記憶だ。

 

前年に東京協和・安全の両信組、ひと月前にコスモ信組がつぶれて以来、木津信の預金流出はとまらず、不良債権比率も80%を超えていたらしい。関西を地盤として最大時一兆円もの預金高を誇ったマンモス信用組合の破綻は大きく報道された。

その同日、兵庫銀行も破綻。預金高二兆五千億円で第二地銀首位、147の店舗、行員数2700人。戦後初の銀行破綻だった。

今でこそペイオフ(預金保護)の対象は一金融機関で一預金者あたり元本1000万円までと広く周知されているけれど、当時はあまり知られていなかった。ちなみに、日本での預金保険機構の設立は1971年で、アメリカは1934年、イギリスは1982年、韓国は1996年だ。日本では後護送船団方式とよばれる形で大蔵省が金融機関を管理しており、東京協和やコスモ信組の破綻なども特殊な事例と認識されていた面もあった。だからこそ、不意をつかれた感じだったのかもしれない。

 

翌日、木津信の店頭には預金者が押し寄せた。ニュースを見ながら奇妙に思った。この期に及んで急いだところで遅いのだ。そもそもほとんどの客は1000万の預金などないはず。それ以上は返すも返さないもお上の胸三寸。でも返すと言っているのだから返ってくるのだろう。それなのにわざわざ炎天下に並んで預金を慌てて引き出そうとする姿は、外から見ると滑稽でさえあった。大蔵省は報道機関にたいして、「取り付け騒ぎ」という言葉を使うなと指導したという。そして預金は全額保護された。初のペイオフはその15年後の2010年、日本振興銀行の破綻で発動された。

 

 

カンボジアで、取り付け騒ぎではないけれど似たような状況に遭遇した。両替しようとたまたま銀行を訪れたときのことだ。大勢の客がオフィスの外にまであふれ、小銃を肩から下げた警備員に入場規制を受けていた。ぼくは外国人だからか、すんなり入ることを許されて気がつかなかったが、武力衝突がはじまったのはその日の夕方のことだ。要するに、危険を察知した人々が預金をおろしに来たのだった。

パニック的行動は似ている。信用不安の連鎖からくる取り付けも、地震のときの購買行動も。視野が極端に狭くなるのだ。

 

同年の1月17日未明に起きた阪神淡路大震災では、比較的被害の軽微だった大阪市内でも、午前中にはコンビニの棚から食料が消えた。それらがぜんぶ被災地に運ばれたとは思えない。大方は不安にかられて自己消費分を確保しようとしたのではないか。

 

ただ、信用不安と地震が大きく異なる点は、信用不安は突然ではなく、人によってはある程度予期できることだろう。木津信も兵銀も経営不安は前から囁かれており、危機意識の高い預金者は先に行動していた。住専問題で後に破産した末野興産は、木津信の破綻直前に何百億かを引き出していたという。

バブル後、連鎖的に問題はひろがっていった。合併などのスマートな隠蔽は不可能になり、ごまかしがきかなくなる。97年に三洋証券と山一證券、北海道拓殖銀行、98年に日本長期信用銀行、日本債券信用銀行……。

 

「金融大恐慌」や「国家破産」や「円暴落」などの危機を声高に叫ぶ本が書店に並び、自己責任の時代だと言われるようになった。ところが皮肉というべきか、破綻を危惧して外貨や外国資産を買ったのに、逆にそれによって大損したという話が散見された。希望だけでなく不安も恐怖も利用されるのは世の常であり、投資にいたっては、大衆心理はたいてい逆指標となる。

 

 

現在、ヨーロッパの信用不安で世界の金融市場が大揺れだ。ギリシャだけではなく、スペインなどもまるでかつての日本の住専問題を見るかのよう。

それらは対岸の火事ではなく、先日のフィッチによる日本国債の格下げもあっさり受け入れるほど皆が日本の斜陽を当たり前のように感じ、どうすれば自分が安全な位置にいられるかを腐心している。他方で、国に関しては誰かがどうにかうまくやってほしい、なんとなくうまくいくのではと淡い期待さえ持ちながら。

このままでは、将来日本は今のギリシャのような信用不安の火元となるのだろうなと思う。安心を求めて国債を買ったり公務員を志向するような人が足元をすくわれる日がたぶん来るのだろうな、とも。コントロールできていたことが、できないと認識せざるをえない日がやってくる。

そのとき、ぼくたちはどう行動するのだろう? 木津信に殺到した預金者の姿が、コンビニの棚に残った食料をつかんでレジに並ぶ客の姿と重なる。ぼくも偉そうなことは言えない。地震当日、大阪市内のマンションで、天井で揺れる電灯をただ中腰で押さえていただけの男だ。

パニックはたいてい、予期せぬことに遭遇して対処できないときに陥る。不安に飲み込まれてしまうのだ。しかし、事象をコントロールできるとわかっているならばどうだろう。その後取り付け騒ぎが起きにくいのは、ペイオフがしっかりと周知されたからだ。銀行は救済されなくとも、預金全額は保証されなくとも、1000万までは保護される、と。

他のことだって同じではないかと思う。小さなプロセスに分解すれば、自分なりにできることはたくさんある。結論や情緒的イメージばかりでなく、そこに至るプロセスと事実にこそもっと焦点をあてた方がいい。そこを注視することに意味と価値がある。

できないことに拘泥するのではなく、できることを探す。

それでも打ちのめされてしまったら。
しゃーないでしょう。潔くあきらめよう。
そのあとで、次は対処できるようにプロセスを改善すればいい。

 

 

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■事実関係は以下のサイトを参照しました。

預金保険 - Wikipedia

ja.wikipedia.org

 

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