今日の主題につながる問題です。
「google創立者サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、Amazon.com創立者ジェフ・ベゾス、現代経営学の父といわれるピーター・ドラッカーの共通点は何でしょう?」
答え(というか共通点のひとつ)は、ある女性の名を冠する教育を受けたということ。
モンテッソーリという名のその女性は、140年ほどまえにイタリアで生まれ、こどものもつ共通した特質に着目しました。
たとえば、下記はぼくの例ですが、たぶん親なら似たようなことのおぼえのある、珍しくない行動だと思います。
ぼくのこどもが1歳くらいのころ、ぼくの部屋の棚のCDのプラスチックケースがお気に入りでした。ケースがお気に入りというよりも、正確には、ケース落としかもしれませんが。ハイハイしてやってきては、立ち上がって、棚の上から一枚ずつ、あるいは何枚かを取り出しては、表紙を見て、床に落とす(投げる)という動作を飽きずに繰り返しました。ぜんぶ落とすと、去っていきます。
片付けても、片付けても、次の日またやってきては、落としてしまう。
最初のころはやらせていましたが、ケースのヒビ割れが目立つようになり、破片で怪我もしかねないので、ぜんぶ見えないところに片付けてしまいました。
一連のモンテッソーリ教育の本(モンテッソーリの幼児教育 ママ,ひとりでするのを手伝ってね!、お母さんの「敏感期」―モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる、幼児期には2度チャンスがある、親子が輝くモンテッソーリのメッセージ―子育ち・子育てのカギ)を読み、この行動はこどもの何だったのか、自分がいかに自然の摂理を無視してこどもと接してきたかを実感させられました。
たとえば、次の言葉
「零~3歳の時期、こどもは繰り返しの動作によって成長していく。」
これだけを聞くと当たり前だと思うでしょうが、
次のようなことはありませんか?
夕飯の準備をしようとすると、いつもこどもが妨害してくる(と親は感じる)。
流し台をあけ、なかのものをぜんぶ外に出したり、フライパンを叩いたりしていたずら(と親は感じる)する。
時間がないのに、片付けの手間ばかり増えてしまうし、危ない。だから台所に仕切りをもうけたり、戸棚にストッパーをつけた。そんな家庭は多いだろうと思います。
しかし、実はそうした「仕事」こそ、自発的な成長のうながされる機会だったのだと知ると、いかに自分がこどもの成長を防いでいたかと愕然としてしまいます。
細かく見ると、そうした時期の活動の周期は以下の四ステップになるといいます。
自由に選ぶ→繰り返す→集中する→充実感や達成感をもって終わる
このなかで、「自由に選ぶ」ことがいちばんの出発点であり、重要だと著者は説いています。これは大人たちが考える「遊び」とは違うものであり、こどもの「仕事」「自然からの宿題」とでもいうものなのだ、と。遊びは飽きれば途中で放り出すが、仕事はやり遂げなければならない。というより、こどもはやり遂げるまで、自分の納得のいくまでやりつづけようとする。だからこその「仕事」。その過程を経てこどもは安定し、忍耐強くなり、自分をコントロールする力が出てくる。すると他者への態度もおのずと違ってきて、友人の尊重や寛容にもつながってくる。
ところが、こどもが成長のための「仕事」をしようとするのを大人は「危ないから」「面倒だから」「時間がないから」と阻止してしまいます。たどたどしい仕草を見かねて、服を脱ぎ着させたり、ごはんを口に持っていって食べさせたり。さらに、こどもが何の「仕事」をやりたいかをよく観察せず、先回りして体よく取り上げ、大人の勝手な、都合のいい「教材」を押し付けます。
それらがこどもの学びと成長をいかに阻害してしまうか。
また、零~3歳の時期のこどものこだわりに、親は辟易します。
同じ食器や向きに異様に固執したり、大人からすると不合理なやり方を何度も繰り返そうとしたり。
その時期のこだわりは、こどもの秩序感ゆえであり、発達・成長のために秩序感が敏感になる重要な時期なのだと説明されています。
ぼくも、それを理解できず、呆れたり、思わず叱ったり、対立的言動をとってしまうこともありました。こどもが感情的になるのは、自我の芽生えだとか、第一反抗期だなどと片付けたり。
しかし、秩序感の芽生えてくる時期は「おかたずけ」を学ぶ絶好の時期なのだという説明と事例に、なるほどと膝を打った後、その絶好の機会を逃したと思っても時すでに遅しです。
さて、幼児期には零~三歳の「幼児前期」と、三~六歳の「幼児後期」にわけられ、零~三歳で重要な成長を逃すと、その歪が幼児後期にあらわれるといいます。
さまざまな事例に、なるほどなぁと納得させられるのですが、前期の問題は後期で修正できると説明されています。
が、それは時間とともに難しくなってくることは想像に難くありません。
ある程度大きくなったこどもに関して、日常生活の「~ができない」「~しない」と親が嘆くのは、こどもが「自分でやりたい時期」に「自分でできるよう手伝って」やらなかった結果だといいます。
幼児後期を逃すと小学生以降も問題行動が拡大してしまうが、そうしたネガティブ面のためだけでなくプラスの面からも、幼児期の教育の重要性をもっと認識すべきと著者は主張しています。
ぼくのこどもはもうすぐ5歳ですが、たしかに接し方を変えると、態度がすこしですが変化してきたように感じられます。
幼児前期にこうした本を読んでいれば、接し方もまったくちがったものになっていただろうと思います。
大人にとっての無秩序も、こどもにとっては成長なのだと思えれば、心にもすこし余裕をもてるでしょう。
なので、零~三歳児を相手に多忙でお疲れの親御さんにはとくにおすすめしたいです。
賢明なお父さんお母さんは自然と実行しているコンセプトでしょうし、これですべての問題が解決する魔法の杖などとは思いませんが、ひとつの考え方・方法論として、参考にして損はないと思います。
こどもを育てるとき、頭を悩まさない人はたぶんいないでしょう。
ただ、別にラリー・ペイジやドラッカーの受けた教育といったところで、多くの親にとってはどうでもいいことでしょう。
ぼくも、自分の子供に彼らみたいになってほしいとは思いませんが、「自分で考え、工夫してものごとを行う力をつけてほしい」とは願っています。
それが多大な費用のかかる特別な学校とかではなく、親のちょっとした接し方で違ってくるならばなおさらです。
ぼくは4冊読みましたが、
・モンテッソーリ教育の全体像を知る
「モンテッソーリの幼児教育 ママ,ひとりでするのを手伝ってね!」
・理解をより深める
「お母さんの「敏感期」―モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる」
「幼児期には2度チャンスがある」
・短い章立てでポイントをつまみ読みできる
「親子が輝くモンテッソーリのメッセージ―子育ち・子育てのカギ」
といった感じでしょうか。
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