マハラジャの住居/ウダイプール、インド
批判と、批判対象そのものを変えるために自らリスクを取る行為とは違う。百の言葉と、一歩足を踏み出すことは、その重みが違う。
たとえば、日本企業での働き方の批判がある。
旧来の会社組織の多くで、従業員は家族と一緒にすごす時間より会社での労働を優先させてきた。それがあたりまえだとされてきた。
ネット上で多くの人がそれを嘆いている。
家に帰ればもっと豊かな時間がもてるのに、会社での有給無給の時間を優先せざるをえない。
「(残業せず)先に帰ります」
「週末の飲み会は全部欠席」
そう言ったもん勝ちだよと誰かがネットで投げかけても、「わかる。でも…」というリアクションばかりであることに、「時代は変わってるようで実は表象だけなのかな」と思わせられる。
「わかる、でも」から次のようにつづく。
「現状ではできない」
「日本企業に属していては難しい」
「個人の意思で変えるのは無理(企業が実施するか、国が規制すべき)」
「そんな世の中になってくれればいい」
「社会の仕組みを変えるべき」
行動の伴わない言葉や、まるで当事者ではないといわんばかりの社会批判がほとんど。わかるとは単に「言ってることは理解できる」「できないけど、実はそうしたい」の意味で使っているにすぎないのだ。
結局、本気で求めてはいないのか、恐怖が先に立ってしまうのか。いずれにせよ、不本意ながらも他人の行動を注視して合わせている人が多いのかもしれない。でも、そんな日本のあたりまえは世界的なあたりまえじゃない。他の国で家族や仕事との関係を見ていると、そうした思考こそが日本社会を毒している思考のような気がしてくる。
いや、無理な理想論に固執する必要はなく、外国を見習えということでもなく、各人が望む生き方をすればいい。ただ、ほんとうに現状をおかしいと思うなら、批判だけでなく自分でそれを変えるリスクを取り、コストを負担すべきだろう。
なぜなら、その批判の多くは単に別種の同調圧力を作っているだけだからだ。つまり既存の多数派工作・世論作りと変わらない。それは全体主義的弊害を伴う。
だから、仮に残業に否定的な空気が支配的になれば、今度はサービス残業をするような者への中傷が生まれてくる。別の例を挙げると、兼業主婦批判が多いころは肩身の狭い思いをしていたはずなのに、数が多くなると専業主婦への風当たりが強くなるとか。
それで、空気を読んで多数派のなかに入ろうとする。少数派であるようでいて、実際は多数派のなかに身を潜めてまわりをうかがっている。日本のネットにはそうした類の批判、あるいは自分がコストを負担する気のない勝手批判があふれているように思う。
曼殊院/左京区、京都
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が発達し、世論形成に大きな影響を与える手段となりつつある。でも、いいとこ取りのできる魔法の杖じゃない。それは現在のネットであろうと一昔前の学生運動であろうと同じだ。
多数派を形作るための批判だけでなく、個人個人がリスクを負いコストを負担しないと、具体的には何も変わらない。批判していれば誰かがうまくしてくれるだろうというフリーライド的な姿勢でたとえ何か変わったとしても、そのつけはあとからまわってくる。
だから、全体的な主義や方法ではなく、たとえ小さくとも個人の生き方とその選択が大事なのではないかということ。周囲の空気にかかわらず自立した精神をもつ者は、自らが多数派になったところで、反対側の意見や立場の人を同調圧力で殺すことはない。
少なくとも、今、無理に無理を重ねて薄氷を踏む思いで現状を維持しているのなら、他者と違うことを恐れず、少し足を前に出してみてもいいのではないかと思う。
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では僕自身はどうかというと、長くなるから詳細は又の機会に譲るとして、おそらく世間の常識や価値観とはかなり距離がある方だと思う。たぶん社会の大多数からすれば、はみ出し者であり、落ちこぼれであり、社会不適合者だ。そうした自己否定や疎外感と向き合いながら、生き方を模索してきた。胸が焼け胃のせり上がってくるような息苦しさや、脳の血が気化するような心の震えは、少数派に置かれたときには誰しも味わうものだろう。
だから、ぼくの言動には多分に冒険をそそのかす傾向があるかもしれないものの、人の生や欲望の重みを軽視してはいないつもりだ。いわゆるドヤ街に近い町に住み、夜中に凍死するような状況下で浮浪者が着の身着のまま地面に酔いつぶれた姿や、ピンクのネオンが誘う旧遊郭街での人々の姿態を垣間見てきた。あるいは海外の発展途上と呼ばれる国々では人生の悲哀はもっとくっきりと日常の目の前にあらわれる。それらは自分と無関係に存在するわけではなかった。
そして、そんな旅の途中で実感したことがある。どんな人間も、この地球に生を得て、その一瞬一瞬の命をその場で燃やしている。様々な条件はあろうとも、誰であろうとこの瞬間が与えられ、ここに生きることを許されている。そしてこの一瞬は、ぼくとぼくに関わるすべてのものとの関係性のなかに存在する。その交わりこそが自分であり、その真実の瞬間には「自分」などという枠は超えているのだ。
乗り合い自動車に乗る人々/バガン、ミャンマー
大げさに聞こえるかもしれないが、論理や言葉で自我をバラバラに解体しかけていたぼくは、そうした旅の過程で全体性を取り戻すことができたのかもしれない。逆説的なようだけれど、その全体性によって、自分にとって何が大切なのかがはっきりと自覚できたのだった。といいつつあいかわらず欲や自我の垢にまみれているのだけれど。
結婚して子供が生まれてからは、自分の影響をより考えるようになった。子供から敷衍させてその向こうに自分なりの責任を意識しているといった方がいいかもしれない。今なおちっぽけな自分ではあるけれど、影響力のないブログやツイッターでも、自分の子供を前にして言えるかどうかを問いながら書いている。
なぜなら、ぼくやぼくと関わる人々の瞬間はここで生まれているから。それはどこか遠くにあるのではなく、ここにある。IT企業で経営権の譲渡にかかわるごたごた期に、管理者である自分が守るべき部下を傷つけてしまったことがある。ここにあるとわかりながら、遠くのものを求めすぎたがために失敗したことは数限りない。あるVisionを追い求めているときの今という瞬間はあるかもしれない。けれど、それはきらびやかな広告やスターの私生活、あるいは他者を蹴落としてのし上がる地位のなかにあるのではなく、今ここにある。
最初の論に戻すと、今所属している職場の多くは、10年前には考えられなかったほど雇用の安定も会社組織としての存続も揺らいでいるはずだ。ではこれから10年先はどうだろう? たぶん5年先だってどうなっているかわからない。
既存のレール上をいかにうまく速く走るかではなく、新しい生き方を実践しながら模索する時代だと思う。まわりの目を気にして自らを殺すのではなく、ほんとうに嫌なことなら――自分が壊れそうなほどのことならなおさら――違う一歩を踏み出してもいいのではないか。それが水面に一滴をたらすほどの一歩であったとしても、価値がある。波紋はここから静かにひろがっていく。
毎日は新しい。この生まれくる瞬間は、まさにアートだ。この一瞬一瞬が死であり、生である。誰もが等しく、この苦しみであり喜びの瞬間を生きている。それでも、多くの人が過去や目に見えないものに縛られて、今を逃しているように思う。もちろんぼくもその例外ではない。
今に未来の安心を求めるのは愚だ。保険ならあっても、確実な未来などあるはずもない。生命にとって一寸先は闇なのだから。
でもこの瞬間は、つかもうと思えばここにある。一歩を踏み出す迷いと恐怖にひとり震えている世界のどこかの誰かに、今のぼくの精一杯のエールを送りたい。
夕暮れのひととき/コロニア・デル・サクラメント、ウルグアイ
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