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夢は捨てた方がいい?
「好きなことをやるために、持たない方がいいものとは?」
そう訊かれたとき、何か思い浮かぶものはありますか?
わたしたちは、好きなことをやるためには何が必要かということはよく考えます。お金とか、自由な時間とか、家族の理解とか。
でも、持たない方がいいもの、必要でないものとは何でしょう?
自由な時間を奪われる家族やしがらみ? 定職?
それは夢です。
なぜ夢? 好きなことをやろうとしているのに、どうして夢を持たない方がいいのか。
それが今回のテーマです。
好きなことをやるために夢を持たないって?
好きなことを「やる」と表現しましたが、夢には「ああなりたい」「あれが欲しい」「あれがやりたい」がありますよね。なりたい系、欲しい系、やりたい系と分けましょうか。
今回の夢とは「やりたい系」のことです。
「あれがしたい」「これがしたい」というものがあって、でも現在の行動とつながっていないなら、その夢は本当に実現したいものではないのかもしれませんね。さらに、今の自分の否定に結びついている夢はとくに要注意というか、要観察でしょう。
やりたい系の夢を実現するには、今の行動につながらない夢を捨ててしまうことが有効です。
つまり、「持たない」。
え? え? なんで?
「夢」という言葉のまやかし
夢というと、わたしたちは「遠い未来や将来にあるもの」「今の自分とはかけはなれたもの」「ここから手を伸ばしても届かないもの」とイメージしがちです。
「夢」という言葉のもつまやかしです。
しかも、「夢を持った人の人生は輝いてる」みたいなイメージがあって、夢がない人を苦しめたりすることもあります。「夢のない人生でいいのだろうか…」とか。
はっきり言いましょう。
そんなイメージなんて捨ててしまえ!
そうした夢を持たない方がいいんです。
夢の仕分け
夢というのは持てばいいというようなものでもなくて、あったらあったでやっかいなものです。
だから、どんどん仕分けしていきます。
今の行動につながらないもの、未来にしかできないものは、どんどん捨ててしまいましょう。
そして、今すぐにでもできることだけを残します。1歩でいいから足を踏み出せそうなもの。やりたいと思ったらそこにつながる何かをすぐやれるもの。いつか、ではなく今日やれるもの、今週末にできるもの。
「~したら」というエクスキューズを捨てる
それはつまり、言い訳(エクスキューズ)を捨てることを意味します。
「もっと給料が上がったら」とか、「将来生活にゆとりができたら」「時間ができたら」ではないんです。そうではなくて、今の生活に割りこませるんです。
難しく考える必要はありません。
分解して断片を見つける
たとえば、長野に住むプロの女性サーファーは、トランポリンで波に乗った体のイメージを描いています。まわりに海がない場所に住んでいても、サーフィンにつながる何かができるという好例です。部屋のなかで板に乗ってもいいし、歩道の端のような細い場所を横向きに歩いてもいい。
「やりたい」ことを「分解」すれば、いろんな「断片」が見つかります。その断片には、5分でできることも必ずあるはず。
「やりたい」ことのために大きな犠牲が必要という考えも捨てる
その「やりたい」のために今の生活を犠牲にする必要はありません。誰のためにそこに向かうかというと、もちろん自分のためですよね? もっといえば、自分の幸福のため。
だから、「今持っているもの(幸福)を捨てなければ夢は手に入らない」なんて大げさに考える必要はありません。自分を痛めつけたり苦しめる代償で手に入れる必要もありません。
世間の時間軸や成功のイメージをそこに重ねる必要もありません。期限も条件も人それぞれ。自分なりの時間軸と条件のなかでやっていけばいいのではないでしょうか。人それぞれ、自分だけのオリジナルの人生を生きているのだから。
考え方として、「1か0」ではなく、「0.1か0」だっていいし、「0.01か0」だっていいと思うんです。
未来のためだからって今苦しまなくてもいい
要は、そのときが来るのをただ漫然と待つのではなく、今、少しでも時間を作ってやってみようということにつきます。下手でも、でたらめでもいいじゃないですか。まわりの評価なんて関係なし。いちばん大事なのは、自分が楽しいということ。楽しくないとか、ただただ苦しいとかは、間違ったアプローチ(夢の断片)ではないかと考える必要があります。その行動はほんとうに自分にとって大切なことなんだろうかって。もちろん苦楽しい(by河合隼雄…苦しいけど楽しいという意)ということはあると思いますが。
夢がまったくない場合
いやいや、まったく夢がないんだけど、という場合はどうするかって?
夢を持てば人生は輝くみたいな社会的イメージがあって、夢がないという人を苦しめることがありますが、そんなこと気にする必要ありません。
輝く人生があるとしたら、今をどう生きているかが問題なわけです。
いま何かに熱中したり、あるいは心安らかに暮らしていたり、課題に取り組んだりしてるならばいいのではないでしょうか。
未来は今の連続のなかで形作られるものだから、夢があるかないかより、「今」にフォーカスできているかいないかが核心だと思います。
未来(の夢)ではなく今できる夢の断片にフォーカスする
今にフォーカスするなかで、未来にしかできないという夢は思い切って捨てる。今できること(夢の断片)に集中する。未来にしかできない夢を捨てると、その夢と今(の姿)の差の大きさにため息をついたり、「未来のために今の幸福をもっと削らなくちゃ」などという本末転倒な考えも捨てられます。
よく何かをするときに、「自分は形から入る人間だから」と服装や装備をそろえる人っていますよね。それも今できる夢(の断片)を実行している例のひとつだと思います。
大切なことは・・・
大切なのは、自分が、今少しでもワクワクすること、ワクワクできる行動にちょっとでもフォーカスすること。
人の欲望というのはやっかいなところがあって、気がつかないあいだに自分の無意識に働きかけて、未来の夢や願望として人にとりついてしまったりします。そして、その欲望は無限大なので、ほんとうはいらないものだったり、かえって自分を苦しめたり痛めつけたりしたりもします。
それをフルイにかけるためにも、今の行動にフォーカスしてみるんです。
行動してみて、ワクワクできるか、有意義に感じられるかが、それ(夢の断片)が自分にとってほんとうに大事なのかどうかを知る試金石になります。
そうすれば、また次もしようと思います。楽しくなければ、それは日々の行動から自然にフェードアウトします。
今という瞬間(断片)の行動の連続が、そしてその瞬間にわくわくすることが、未来には今とはまったく違う遠い場所に、自然に自分を運んでくれるのではないでしょうか。
それが、夢を捨てようというメッセージの本意です。
「仕事」にも通じるんじゃないかなぁと思います。