大前研一氏とbtraxのBrandon K. Hill氏との面白い対談がありました。
シリコンバレーは一攫千金を狙ったドロップアウト達のステージ【対談】大前研一 × Brandon K. Hill
下のエントリとも関連するんだけど、感じたことをメモ程度に残しておきます。
対談のなかで大前さんが、「日本人がインド人のようにサンフランシスコ・ベイエリアで活躍することがなかなかできないのは偏差値の悪影響が大きい」と言っているのが印象的でした。
偏差値で育った人は自分の分際が若いころにわかっちゃう。自分の可能性は無限だと思ってやっていかないと、人生っていうのは絶対損をする。でも偏差値が低いと言われたらそれを受け入れてしまうし、高いと言われたらそれ以上勉強しなくなる。百害あって一利なし。僕はやっぱり偏差値という概念を叩き壊さないと、21世紀にオールクリアして入れないと思っている。
日本の優れた家庭に育って、優秀な大学を出て、親や先生や上司の言う通りにやってきた優秀な人がここに来たら路頭に迷うしかない。答えのない世界で自分で答えを見つけていかなくてならないときに、そういう人はものすごい不安を抱く。
ここでは日本の教育についての弊害が語られているけれど、その考え方の古さというか理念のなさは、ビジネスへの悪影響に関していえばかなりのひどさです。
多くの国でその地の人々と接して実感したんですが、日本人は集団としての行動レベルや倫理観は高い方だと思います。
一方、国としての未来に疑問を抱かざるをえないのは、問題を解決しようと集団として打つ手が、悪手となっている感が否めないからです。集団としての意思決定が多数決や全体の雰囲気の和としてなされるとき、逆の方向へ行ってしまうように見えます。
・大学を無償化して誰でも行けるような環境を作ろうとしている。
→ヘボ大学・学部が増える。中身の薄い教育が多くなる。貴重な若いスキルに悪影響。
・解雇規制が強くて、中途半端な状態で社内で飼い殺しせざるをえない。
→流動化を極端に低くして、成長分野へのタレントが移動する機会と時間を奪っている。
いまの日本では、おとなしくてまわりの常識に従う人間ほど、環境によって駄目にされる。
老害、というか日本人の集団特性なのか、そのためにどんどん人的資源が無駄になっている。
ほんと、日本で生きづらさを感じたら、どんどん海外に出ていったほうがいいんじゃないかと思います。
Brandon氏も
日本だと人材募集しても、「英語が喋れるけど優秀じゃない」か、「英語が喋れないけど優秀」かという、どっちかになるケースが多い。両方できる人はそんなに多くないっていう話はよく聞きます。でも、こっちの非アメリカ人の英語レベルは、実はそんなに高くない。
イーロン・マスクだって、南アフリカの訛った英語なんですよ。本人もコンプレックスを持っている。移民の起業家も非常に多いです。だから英語のレベルというのは実はそんなに関係がない。でも日本の人は、「英語が喋れないから海外に行けない」もしくは「海外の仕事をやらない」と決めてしまっている。
日本の英語の教育レベルというのは実は高くて、中学生で学んだことが全部できていればまったく問題ないはずなんだけど。僕は日本の高校に行ってたけど、高校で習った英語は家庭で使ってないものばかりだったんで点数がめちゃくちゃ低かった(笑)。聞いたことのない単語ばっかり出てくるから。しかもイギリス英語の。
と言ってるし。
外からどう見えているかがわかることは、将来の日本にとっても貴重な体験になるはず。